新日本プロレス売却

この記事は素通りできなかった。

新日
“脱猪木”ユークスに身売り

オンラインゲームについて調べていた頃、ユークス社の谷口行規社長の話をきいたことがあった。
WWE系のプロレスゲームはユークスで開発されていて、日本ではなく米国向けにつくっているといっていた。また、
日本ではそれほど本数がさばけないけれど米国市場だと何十万本という単位でスポーツ系のゲームが売れるのだといっていた。

いや、
その時の話の本質はそんなことじゃなかったのだがユークスというとWWEのゲームをつくってる会社というイメージが強い。
そのユークスが今度は新日を買収とは感慨深い。

ゲーム会社がプロレス団体を買収するとは10年前では想像できなかった。

10年後は今度はゲーム会社が予想外の勢力に買収されるようになっているかもしれない。

求められるエンターテイメントやコンテンツの質が変化しているのだ。

昨日、「ALWAYS三丁目の夕日」という映画を観た。
(映画についてはPodcastでレポートします)

劇中、TVが運び込まれ町中の人々が集まり、画面に表示されるプロレスの中継に熱狂するというシーンがあった。しかし、
「力道山のチョップが日本の人々を興奮させた」
といわれてものか僕には実感がない。

一つのイベントに対して多数が熱狂する機会は減少している。
エンターテイメントはより個人の嗜好を反映させたものへと向かっており、この分野でのロングテール現象は顕著だ。
2割のメガヒットが注目されるけれど全体の8割を占めるのはヒットとは呼べない小粒なコンテンツの集合体である。これらを僕は

「群れとしてのコンテンツ」

と呼びたい。

プロレスに話を戻すと新日の惨状とは逆に先日、僕たちが鬼瓦軍で参加した「ハッスル」は盛況である。
会場に足を運ぶと凄まじい熱気に驚かれることだろう。僕もかなり驚いた。最盛期の新日の興行並に観客が「ハッスル」している。

「ハッスル」はエンターテイメント性を重視し、プロレスという舞台をつかった「ショー」
を定着させることに成功している。ドリフと吉本のライブ性をプロレスで再現してしまっている。
このスタイルのプロレスが全ての人にアピールするとは思わない。なので5万人規模の会場、例えば「東京ドーム」などを埋めるような興行は難しいだろう。

しかし、こうしたプロレスを受け入れ、楽しむことができる人々は存在し、
そうした人々を対象として興行を行う場合、興行を成功させることは不可能ではない。
(映画に例えるならばマーケットサイズを把握して映画を製作していれば観客動員が少なくとも黒字はつくりだせる)

こうした市場の変化を興行に組み込むことができなかったのが現在の新日の惨状を招いたのであろう。

新日劇場と呼ばれる団体抗争劇は10年前にはコンテンツとして人々を魅了したが、いまや、役者が固定化し、昼ドラのどろどろ感よりも醜い。
そうした愛憎劇の再現をユーザ(観客)は求めてはいないのだ。(それを求める人の数が減ってきている)

追伸:プロレス団体によってTシャツも全然ちがっていて、

プロレス会場で上記の新日の赤Tシャツを着ている人を見るのが好きだったのだけれどそのシーンも少なくなっていくのだろう。
以前は会場にいく途中の電車の中で既に上記のTシャツに着替えている人なんかもいて、やるなあこの人、とか思っていたものだ。

同じTシャツでもハッスルのは

な感じである。Tシャツひとつとっても全然雰囲気が違う。

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