やまけんの気持ちがよくわかる

先週くらい仕事や出来事や思考やらが100倍くらいの濃度でガーっと頭を駆け抜けていて、
ようやく情報量に頭がなじんできたようで活性化してる感じがする。

感じることが多すぎて、
書きたいことが溢れんばかりに脳をぐるぐるとよぎっていくのだけれどそれを文章にしてここにつなぎとめる作業が全然おいつかない。
ライブで記録しないと体験の瞬間の感情や感覚が流れていってしまう。ライブ感がないテキストを書くのは難しい。

だからすぐに書き留めればいいんだけれど感じた瞬間を逃すと「書く」という作業にはそれなりに負荷がかかってきてしまう。
脳が記憶をリコールさせ、再現しようと躍起になってるのがわかる。これはやっぱり負荷なんだろう。

入ってくる情報をライブで文章にしていくスピード感にまだ慣れてないのである。日記みたいにただ書くならばできるけれど、
記録として書くのと、
感覚を書くのとでは文字を使うという意味では同じだけれど使っている脳の機能の質が全くことなる。

書こうと思っていたことをメモした紙をみると

・Kentaka

・Akira Kurosawa

・Four Bros

と書いてある。これらの言葉から何を自分が感じていたかを想起することは僕には可能だけれど他者には不可能だ。

自分の中にわき起こった「伝えたい」という気持ち。僕にとってこの時の感覚が全てといってもいい。この時、僕は何も考えていない。
ただ感じた何かを「伝えたい」という気持ちだけがある。僕はそういうのがいい。

表題の件について。

よくやまけん

「忙しくて本当に書きたいことはやまほどあるのだけれど書けない!!!!!!!!」

と書いているがその気持ちがよくわかる。僕も書きたいことが山ほどある。しかし、書けないのである。そう、ありすぎて書けないのだ。
脳が感じるスピードと書くことの間のギャップがありすぎてまだこのスピード感に慣れてないのである。そしてこういう時はとても悔しい。クソ、
書きたい、でも書けない。気持ちは伝えたくてしょうがないのだけれど脳と身体がおいつかない。これってとても悔しいのである。

だから、ポッドキャストならばできそうなので、やり方を考えてみます。(ここ面白い感覚です。
話のはできると思うけれど書くのはできないんですよ。おそらく僕が感じた感覚やら感情やらは文字として固定してしまうと揺らぎがなくなって変質してしまうんですね。
例えば好きだという感情を伝えるのに「好きだ」と書くアホな作家はいないですよね。文字を使う場合、
文字の後ろに浮かび上がるもうひとつのテキストがつくりだす質感によって感情やら気配を伝えるしかないんです。音声の場合、
それ自体が揺らぎをもっているので感覚を表現する際に使える情報量が圧倒的に多いのではないかと思います)

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コメント

  1. Yけん より:

    ポッドキャストでやれる方法確立したら教えて下さい!
    本当に書くという行為は時間と精神力を要する、、、