声について思うこと 福島電話の話

会ったことがない人と話す時はいつも緊張する。

使う言葉は同じでも伝わっている情報の質感が異なるように思う。

普段は気づかないのだけれど、対話においては言語そのものよりも音質であったり間であったり、
言葉以外が占める割合が大きいのだと思う。

以前、石井先生が東大の福島先生のコミュニケーションについてご紹介されていた。
情熱大陸でもとりあげられた方である。福島先生は目も耳も聞こえない。先生のコミュニケーションの手段は掌をタイプライターにみたてた
「指点字」という方法である。福島先生とお母さんが考案・開発したコミュニケーションの方法である。

衝撃をうけたのは視覚も聴覚も閉ざされている福島先生が石井先生と電話で話している映像だった。石井先生は普通に電話で話している。
そして福島先生も電話で話している。何がどうなってこうしたコミュニケーションが成立しているのか最初はわからなかった。
福島先生の隣にいる翻訳者の方が石井先生の発話を指点字に変換し、福島先生に伝える。それを瞬時に言語化し、
福島先生は受話器に向かって話す。

受話器の向こうにいる人は福島先生が盲ろう者であることには気づかない。

これが有名な「福島電話」である。

情熱大陸の放送を見て僕が強く印象を受けたのは福島先生の次ぎの言葉であった。

「僕は目も見えないし、耳も聞こえないから、有利なんですよ。
その人の言葉からその人を感じるしかない。その人がどんな容姿をしているか。どんな声をしているかと関係なく、
その人の言葉からその人を判断することができる」

およそこのような内容であった。

僕らはその人がどんな人かを判断するときにもの凄く多くの情報を瞬間的に並列処理して判断している。
けれどそれが正しいとは限らないし、情報が多すぎれば逆に本質を見逃すこともある。

「言葉だけを見て相手を判断する」

これ、深いなあと思うのである。

そしてスゴイなあ、と。

さきほどある人と電話で話をしたのだが違和感がないのが不思議であった。今朝までは見知らぬ人であったはずが、
いまは以前からの友人であるような感じさえする。コミュニケーションは脳を活性化させるのだろう。

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