裏庭の中国

結婚式も終わり、ゆっくりと眠った。

(修正依頼がありましたので修正しました。この問題については書きたいことは山ほどあります。どう対応すべきか、しばし考えたのですが、右肩をみると「カガヤ君、そんなことやってる場合じゃないだろ」と声が聞こえました。そうだよな、と思ったのでこの件についてはクローズしました。)

昨日の式はタフな時間であった。

その反動か昨夜は早々に就寝。

今朝方はたくさん夢をみた。

島の郊外にあるドーム状の建物は大規模電気店になっている。その店を巡回する。店は広く大きい。
出入り口付近でヤマケンとホリエモンが筆談していた。なるほど、この島では筆談がブームなのか。僕も参加してみた。
アイデアが浮かんだのでその本のプランをまとめていった。

そのプランを持って外にでると。坂道が水に覆われていた。著名なカメラマンが波打つ水をさかのぼっていった。
彼の姿が水の壁に吸い込まれていく。頂上から降りてくる人々もいる。それらを見ていた。

公園でぶらぶらとしていると中国人の女性に声をかけられた。パキスタン人の男性やブラジルの女性も声をかけてくる。
英語で対応しているのだが彼女たちは日本語で答える。しばらくそうやって歩いた。ベトナムの女性が子供をつれて歩いている。
彼女と二言三言話した。何かを上げようと思ってカバンの中を探すが何もみつからない。男児の目は遠くをみているようだった。

川につくと二つの勢力が闘争をつづけているようだった。まきこまれないように水面に浮かんでいた。
片方の生命体が開発したエルモと呼ばれる戦闘機を眺めていた。10機くらいの変態がアクロバティックな飛行を繰り返している。
ITSを1000倍発達させたような自己統制システムによって彼らの機体は情報化され、生命的な振る舞いをするようであった。
形状は通常の戦闘機に似ているのだが曲線が多く、バルキリーを情報化で丸くしたようなイメージである。
青みがかった緑とオレンジが迷彩模様を描いている。

彼らは敵対している生命体との闘争の渦中にある。リーダー格の一機が雲の中に機体を隠すように指示を出すと続き機体も皆、
雲の中に消えていった。ぶつからないのだろうかと不思議に思ったが情報化が進んでいる為、機体同士の自立性は保たれ、
同時に相互依存が成立しているのであった。

地上を歩いていると中華料理屋が立ち並ぶ谷についた。谷の入り口にはシャレたカフェのような中華料理店が何軒も並んでいた。
その中の一件はベトナム人のヤーさんがやっている店だ。彼は奇跡的にこの店をつくりあげた。カウンターだけの小さな店だが味があって素敵だ。

その隣には日本人のやっている店がある。この店は下方向に二階建てになっている。谷の入り口近くに若者がやっている店があり、
ここはメニューもカフェに近い。ただし、僕はこういう店はあまり好きではない。適当に洒落ているだけで味も中身も伴っていない。
そうした店が量産されているのは哀しい限りだが、消費者の意識が低いことで引き起こされた現象でもある。
表面だけ洒落ているといったインチキくさい店が兎角多いのは人々の間に「気持ち」で行動することが減ってしまっているからだろうか。

僕が「気持ち」という時、これは自分だけの気持ちを言っているのではない。自分に関わる相手の気持ちも含めた気持ちである。
気持ちは単独で存在しているわけではなく、相手との相互作用の所産である。それがわかっていない人が驚くほど多い。
自分の気持ちだけを見るものだから、逆説的に相手に気持ちを左右されてしまいがちだ。
相手を含めた状態で気持ちを見るようにすればアウトサイドインな状態はなくなる。

その後、吉田と古賀が意識状で融合された日本で最も高潔で高名な柔道家と対峙する機会を得た。彼は偉大であった。組み合う前に
「こちらからは技はいっさいかけないから」と僕にいった。左手を掴み組みにかかる。びくともしない、というのではなく、
むしろあたたかささえ感じる。技をかけにいっているのに舞っているような心地良さだ。

これが真なる人の奥深さなのだろうか。

素晴らしい体験であった。

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