VIPSTARとかヤングチャックノリスという流れに感じるもの

いやー、またしてもグッとくる映像に出逢ってしまった。

これである。


Young Chuck Norris

VIP STARもそうだけれど映像や歌詞と曲のモードがズレているところに面白さのキモがあって、
これらはパロディあるいはカーニバリスティックな歪みがつくりだす脳的な種類の面白さだと僕は考える。

何年か前に利根川教授のお話を聞いたときに二つの意味を持つ画像を見た時、脳は一つの対象を観ているのに二つの意味をつくりだして、
そこに情報と脳の関係を解く鍵があるのでは、といったような話があった。(かなり端折った言い方だがおよそこのような内容であった)

これと似ているように思うのである。

VIP STARにしても、ヤングチャックノリスにしてもベースにあるのは異化体験(茂木さんが言うアハ体験とは全然違う)
の時に感じる質感と近い。全く同じではないけれど脳が体験したことがない種類の情報体験なのである。
この種の未体験な情報との邂逅を面白いと感じてしまうのは僕だけだろうか。

ネットと個人とそこから生まれてくるコンテンツの短期的な展望は圧倒的なクオリティを有する唯一無二の情報というよりも、
脳体験の実体化のような、コンテンツそのものの持つ芸術性やメッセージ性とは切り離された、「個人が体験しているモード」
の表現であるように僕は思う。

完全にオリジナルな作品を誰もが創り暮らす未来像というのは想像し難い。

しかし、

「体験する」

というコトに関してはオリジナリティ云々という問題ではなく、現実の鏡みたいなもので、
例えるならば夢を記録しているようなものといったらいいだろうか。

小説ではなく日記みたいなものだから、誰でも書ける。日記の場合はコンテクスト、つまり、
誰が書いている日記かという部分で面白さの度合いが決まってしまうのだが、「体験」
に関してはそれぞれがインパクトのある質感として個人的に有する情報だから、そのモードが何らかの形で具象化されるなら、
そこには情報的なパワーが織り込まれるかもしれない。

と小難しい言い方になってしまったが、個人が「オヤ!?」
とか「アッ!?」とか感じた、その質感をデジタル化すること。そして、
それが共有されるような世界、という方向に個人発のコンテンツの形は向かっているように思う。

VIP STARやヤングチャックノリスをみていたら、その傾向を感じたのであった。

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