BBA@東大でJoi氏の話を聞く「アマチュアは本来美しい意味だったハズ」との言葉に信念を感じた

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久しぶりに東大を訪れた。
本郷三丁目から安田講堂までは徒歩だと10分くらいかかる。
駅を出たところで郵便局のマークが見えたので入り口を探そうと大通りへ出た。

オヤ?!
見慣れた顔を認識した。

「ヤマノウエ君!」

なんとも奇妙な偶然である。友人のヤマノウエ君がまさに自転車に乗ろうとしているところだった。通りすがりざまに声をかけると

「エェ!!!カガヤさん、どーしたんですか。なんで、エー??!!!」

と二人とも不思議な遭遇に驚きを隠せなかった。
こうした邂逅は愉快である。そしてこの「オヤ?!感覚」こそ我々が最も大事にすべきものである。
そんなわけでドトールでしばし話し込む。
盛り上がってしまい。
肝心の勉強会に遅れそうになってしまった。
何の話で盛り上がったかはいずれ明らかにしたい。
夢が広がった。

ドトールを出て、ヤマノウエ君と別れてから東大に向かう。
赤門のところで高校生が記念撮影をとっていた。
赤門をくぐってひたすら歩く。
歩けども歩けども教室は遠い。

ようやく教室につくと

「カガヤさん!ソフトバンクでお世話になったワタナベです!」

と女性に声をかけられた。何年ぶりだろうか。ソフトバンクに助っ人でいっていた時に一緒だったワタナベさんが今日の司会とのことであった。出会いは続く。
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教室に入るとジョーイ氏の話が始まったところであった。
いすに座って隣をみるとナントまたしてもソフトバンクのプロジェクトの時にお世話になったナカジマさんである。
挨拶をし、ジョーイ氏のプレゼンにききいる。

相変わらずジョーイ節全開である。
ビジネスと思想とデジタルなノリがマッシュアップされた感じなのだが嫌みがないのはジョーイ氏の言葉の使い方にあるように思う。日本語はあまり得意じゃないんだけれど、といつもいうけれどそういう人の日本語は決まって丁寧なのである。

セカンドライフとWoWについてのジョーイ氏の私見についてのパートが面白かった。

「僕はベンチャーキャピタリストなんだけれど。正直言って日本でベンチャーって無理だと思う。なんでかっていうと」

といって見せてくれたのは水戸黄門の絵であった。

「えーと。アメリカのみんなに日本のドラマとか見せるんだけれどこれだけは理解できないみたいなんだよね。というのは悪者といい人がいて、それらがワーって戦って、それは分かるんだけれど。なんで最後にこの印籠がでちゃうとみんなハハーってなっちゃうのかがわからないんだって。なので、エーとだから、この人はエライ人なのでと説明はするんだけれど何でエライとハハーってなるだ?となっちゃうともう説明できないんだよね」

話の要点としては日本ではベンチャーがあり得ないとジョーイ氏は考えていて、それはエライ人が多すぎてインフレを起こしてしまい、リスクとリータンの健全な関係がベンチャーにおいて成立しなくなっているのが理由だととのことであった。

カシコかったりエラかったりするとリスクをとらないでもリターンを得られる場合が多く、だったらみんなヤーメタとなるのは当たり前だよね、とも言っていた。

ジョーイはホントはディスカッションに参加する予定だったのだが、飛行機の時間らしく早々に去っていった。
毎度ながらいつも移動している人である。

休憩時にまた知人に遭遇。
今度はスズキケン君であった。

「どうノータもりあがってるの?」

と訪ねると

「盛り上げますよ!米国に法人をつくって向こうでやろうと思ってます。」

とのことであった。来月はサンノゼにいくと言っていた。営業と管理の人を探しているといっていたので誰かいたかなーと検索したら、LDのT氏が思い浮かんだ。優秀な人はいるけれど企業で働いちゃってるよ。と伝えると、それでも教えてくださいとのことだったのであとでメールを入れておこう。

勉強会終了後、東大を出るとヤマノウエ君からメールが入っていた。新宿でやっている「歌姫」という演劇のチケットにキャンセルがでたのでもしよかったらいってみませんか?とのことであった。なんだかいい夕方だったのでそのまま丸ノ内線で新宿御苑へ。

演劇を観るとはつい数時間前まで思ってもみなかった。
これだから俄ライフはやめられない。
何らかの理由で自分の周辺の情報ダイナミズムが拡大していくとこうした現象が頻繁に起こる。
人の世界の本来あるべき姿とはこうした情報の振る舞いの向こうにあるのではないかと僕は思う。

演劇はさしたる期待もなくいったのだがこれが予想に反してヨカッタ。
場がつくりだす力というのだろうか文章にしてしまうとさほど目新しくないプロットなのだが不覚にも舞台をみながら涙すること数度。気持ちがこちらに伝わってきてしまい、優しい気持ち、素直な気持ちっていいなあ、と思った。どうして人はこういう風にいられないのだろうか。

永遠の謎ではあるがある程度のコントロールは可能だと確信した。
話の内容は書かないでおくがカップルでいったらいい雰囲気のデートになるのではないだろうか。

内容とは直接関係ないのだが僕が感激した瞬間について書いておきたい。
演劇の常で同じ舞台で時間軸がグワンとズラされる場面があり、その場面に入っていく時の感じが何とも言えないディストーション感覚をつくりだし、その数秒の世界の歪みっぷりに感激した。現代を写していた舞台がリアルな俳優群の交差によって昭和50年代にディストーションされる。その瞬間の演出はありがちではあるけれど微妙なスモークがたかれそれが妙に郷愁を誘うのであった。そして映画「夜叉」で高倉健がステーキハウスで踊るシーンを観た時の脳回路がリコールされ、それらが混然としてリアルな世界に還元され脳がグワングワンとなりだし、その空気に脳のモードがシフトするのを感じ、ああ50年代のこのゆとりな日本って自由だったな、と思いつつジョーイの話を思いだし「ほら戦争でエラい人がみんな死んじゃったから、みんなフラットになってわりとエラくなるチャンスってばーんと増えたんだけれど、もういまはエライ人インフレになっちゃって」という言葉がリフレインし、組織やら諸々がよぎり、しかし、時間にすればこれらは5秒くらいの間におきたことなんだけれど、いまもこうして書いているように自分にとってはすごく重要な時間であったのであった。

演劇がつくりだすあの手のディストーションは脳にすごくいい。
ああ至福の時間であった。

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