なんとなくだが行動力という言葉の使われ方が違ってるよう思う

「行動力のある人」のイメージは何でも思ったことをバリバリ実行していき、普通だと気が引けてしまうことも「エッ?!」という気軽さでやってしまう人なイメージなのだがこれって努力して身につくようなものではなく、単にその人がそういうパーソナリティなだけという気がする。

「行動力」の根本部分は精神的なハードルをシカトする能力である、と僕は考える。
例えば東京の地下鉄でいきなり隣の人に話かけるのはためらわれる。
しかし、旅先だったら案外普通にやっていたりする。

ちょっと話が飛ぶけれどある出来事について考察してみたい。

だいぶ前になるがオアゾ(東京駅の前のビル)にある丸善の1Fで新刊を眺めていたら突然男性に「なんか面白い本ないですかね」と声をかけられた。正直、薄気味悪かった。

「ん?本?」

「本、何か面白いものありますか?いままで読んだ本の中でお勧めありませんか?」

「そうね、鏡の伝説でも読んでみたら」

「へー、どんな本ですか」

「複雑系の科学に関する本だけれど」

とこんな感じで少し話たのだが、この男性(20代だよな)、社員教育関連の仕事をしているとのことであった。渋谷の会社で云々というので

「ふーん。じゃあリンクアンドモチベーションみたいな仕事してんの」

ときくと

「エ?!なんですかそれ。コーチングって知ってますかああいうのなんですよ」

「コーチングだったら、コーチ21とか知ってる」

「エ?!なんですかそれ?」

話にならない。ダメである。コーチングを日本にもってきて流行らせたのってコーチ21じゃなかったっけ?社員教育の仕事がきいてあきれる。リンクアンドモチベーションも知らないで社員教育関連の仕事があるかよボケ。ちょっと突っ込むと話にならない。が、そこは押さえて。

「何、本やとかでこうやって声かけたりするの?」

「そりゃもう仕事柄、人に話を聞くのは大好きなので。ニチジョウチャハンジですよ」

ハイハイ、それは「ニチジョウサハンジ」だっつのボケが、と思ったがまあこれも何かを伝えているのだろうと思って2分くらい話しただろうか。どうにもこの手のやからは宗教の勧誘に思えてしまう。

「どうですか、お茶でも飲みながら…」

と来たので

「悪いけど映画の時間なんでさよなら」

といって別れた。

「できれば名刺をいただけませんか…」

だから人に名刺をいただく時は自分から渡すんだっつの。

「申し訳ない、名刺はもっていないんです」

と立ち去った。

この彼、行動力はあるのだろうか。
彼と話のレイヤーが合う人だったら自分が感じたような鬱陶しさは感じなかったのであろか。

行動力は当人の利益とは直結するかもしれないが他者の不愉快をつくり出してしまうこともあり、他者に対する「プレゼント」あるいは「ギフト」な要素、例えばそれはインターフェイスであってもいいのだけれど、それらがない状態だと行動力はマイナスに働く。

コミュニケートの感性が高いことが重要なのだろう。
自分と相手の波長の調整能力に長けており、なおかつ行動に対して既成概念や思い込みなど意識のブレーキがかからない人。
行動力がある人というのはそういう人かな、と僕は思う。

ただし、これ位置さえズレていなければどんな人でもそうなんだよね。
前に読んだ本にこんなことが書いてあった。

ある男性。
その男性はものすごくダメそうで冴えない。
これまであったどんな人よりも冴えないような印象を受けた。
ところがひとたびかれがボタンについて話し出すとこの世にこれほど情熱的で雄弁な人がいるのかというくらい積極的な人物に変わるのであった。

なんであれその人がベストのパフォーマンスを発揮する場所や時間があって、そのマッチングがうまくいっていないことが人間社会のロスであり大いなるコストになっていると僕は考えていて、どうしたらベストなマッチングができるのか。
そして、人が最大限にドライブするポイントはどうやったら見つけられるのか。
せめてそのきっかけや気配を探す方法や面白さを提案する活動をしていきたいと考えている。

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