ペレルマン

数学者とはいったい何者なのだろうか。
ペレリマン博士は「ポアンカレ予想」を証明した人物である。
証明後、彼は消息をたった。

同じようにある日突然疾走した数学者について書かれた本を最近目にした。
「ブルバキとグロタンディーク」という本である。

先日のNHKスペシャルでペレリマン博士について放送されていた。

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ポアンカレの名前を初めて目にしたのは20歳の頃だった。
「鏡の伝説」に出てきた数学者であった。

「鏡の伝説」は複雑性の科学について書かれた本である。
数式よりもたとえ話が多く、誰でも容易に理解できる。
そして内容は恐ろしく面白い。

読んでいる間、脳がプチプチと回路を形成していくかのような錯覚にとらわれた。
一文一文を読むのは楽しさとはほど遠い感覚だが総体として章をクリアしていくたびにグワっと視界が広がる感覚がおとずれる。
これは素晴らしい経験であった。

あの本を超える読書によるエンターテイメント体験は以来体験したことがない。
(より面白い本はたくさんあったが体験としてはあれが最高であった)

近い体験は「量子のからみあう宇宙」と「量子コンピュータとは何か」を読んでいる時にも感じた。あの時の感覚も素晴らしかった。

あのレベル(初歩中の初歩)の負荷によってつくりだされる回路の形成プロセスでさえ通常のエンターテイメントとは異なる強烈な感覚が生み出される。このプロセスはある種のイニシエーションに近いのではないかと思う。

ペレリマン博士の脳はいったいどのような変更を感じていたのだろう。
きわめて興味深い。
彼が対象とした問題より、彼がその時に得た感覚に強い興味を持つ。
宇宙と対峙したときに彼は何を感じたのだろうか?
どうやってその域まで意識を集中させたのだろうか?

ちなみに「ポアンカレ予想」とは下記のような問題である。

「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である」

これだと何がなんだかわからないと思うので簡単に解説する。

例えばここに大砲の玉があるとする。この玉にはものすごく長い綱がついている。この玉を宇宙に向けて発射する。すると玉は宇宙をぐるーっと一周してきて、ここにかえってきたとする。綱は宇宙に向かってのびたままである。そこでこの綱をガーっと引っ張る。のびきった綱をたぐり寄せる。宇宙がドーナツ型だったりどこかに穴があったら綱は回収できないわけだから、もし、綱が途中でひっかかることなく、すべて回収できれば宇宙は丸いと考えることができる。

大雑把にいうとこんな感じの問題提起である。この問題を巡る数学者達の格闘はNHKの番組にゆずるとして、僕が注目したのはペレリマン博士の変質である。明るく闊達であった彼はポアンカレ予想に取り組みはじめると時を同じくして人付き合いをやめた。

受賞したフィールズ賞も拒否し、世界から姿を消した。
この変化に僕は興味を持つ。
変更を作り出したのは脳内の回路が作り出される際の感覚に関連した何かだと思う。

初歩中の初歩の本を読むプロセスでさえ自分はあれだけの強烈な感覚を体験した。
宇宙の問題を扱い、そして、解いたペレリマン博士はいかなる感覚と対峙したのであろう?

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いきなり話が飛ぶけれど「総合格闘技」の「能力を超える」感じの場面ではこの域と同種の感覚が存在するのではないだろうか。スポーツの世界でいう「ZONE」と呼ばれる状態も同種の感覚を指しているのだと思う。チクセントミハイのいう「フロー」も同種の状態を指していると自分は考える。

そして、できるならば一日に1分でいいからこの種の変更状態(変性意識状態とは違うと思っている)をつくることができないかと日々思う。それができたら我々が日々争ったり、諍いを起こしたりしているほとんどの出来事や事象を別な位相な問題として認識でき、本来取り組むべき問題に対峙できるようになる、と僕は思うのである。

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