Youtubeと日本のコンテンツを全部消せという主張と著作権

http://japan.cnet.com/panel/story/0,3800077799,20354095,00.htm

C-NETの記事をみていたらなるほどなあと思った。
現実的には江島さんのいってるようにYoutubeが止めたところで他に流れるだけで大した解決策にはならないように思う。
それこそ時間の無駄。

米国のケーブルTV局であるHBOについて昨日調べていたんだけれどこの放送局の掲げているコンセプトが面白い。

「TVとは呼ばせない。我々はHBOだ」

なんともアソビの効いたコンセプトである。
これを幹部陣が2日間合宿して考えたというのが粋である。
行動の指針となったのは「業界の常識との決別」というのだからまた面白い。

ヒットするとそのコピー番組がわんさか生まれるという業界の常識を捨て「品質とオリジナリティで勝負する」となんとも正論に立ち戻り、驚異的な業績をあげている。(2004年のHBOの利益は11億ドル!時価総額は200億ドル!)天晴れとはこういうことなんではなかろうか。

Youtubeの話からだいぶそれてしまった。

「日本のコンテンツを全部リセットしろ」というのも正論だろうけど、過去の遺物にすがって生きることで時間をロスしているように思えて仕方がない。そんなことをやってる隙にHBOみたいにガシガシ邁進している所もあるわけで、そっちの方がカッコよくないかなあと思う次第である。

TVに触れたついでにいうと僕はTVをほとんど見ない。週に2時間もみればいい方である。これは僕だけじゃなくて友達の少年たちも同様である。

話は飛ぶけれど、コンテンツ・番組の面白さよりもそれらがどのようなコンテクストで届けられるかの方が重要になってきてるよな、と思う。アマチュアのコンテンツはクオリティが低くダメだ、というのは簡単であるが。それらのコンテンツもコンテクスト次第では変わりうるし、そうした変化が積み重なってコンテンツを視聴するスタイルそのものがより能動的なものに転じて来た場合、そこでのコンテンツとは既存のパッケージからはかけはなれたものになるんではなかろうか。

今年後半のプランニングのテーマでもあるのだが能動的視聴による再現性のないコンテンツ、というのがありうると思うのである。

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