腹立ちとコミュニケーションの素敵な関係

夕方頃まで快調に仕事を続けたのだが夕刻過ぎから急に憤ってしまった。

今更ながらだが自分の「沸点、カチンとくるポイント」がわかってきた。

整理すると

・理不尽なルール
・指示されること

自分の中ではこの2点は譲れないポイントのようだ。
おそらく自分だけではなく誰にとってもこの2点はストレスの要因であろう。

なのでこれをうまく裏返してやれば有効なマネジメント手法への転換が可能なのではないだろうか。

例えば世の中にはルールがたくさんあって、たいていは理由があってそうなっているのだけれど中には形骸化し、ルールを守ることが目的にすり替わってしまっているケースも多々ある。
こういうたぐいの「ルール」に僕は楯突きたいのである。

二つ目の「指示されること」への憤りこれはおそらくコミュニケーションの問題である。

言葉を発する側とそれを受け取る側の意図がすれ違ってしまうのである。
それほど重い意味を込めずに発した言葉が相手にとっては屈辱的に聞こえてしまいトラブルが表面化してはじめて、

「そんなつもりで言ったわけじゃなかったのに…」

と言葉を発した側は気づく。そして受け取った側は

「人のことを何もわかっていないで。偉そうにするな!」

とさらに憤る。

そんなケースが山ほどある。

解決策はひとつしかない。
相手を理解しようというスタンスを忘れず常に相手をケアした言葉を使うこと。
それだけである。

しかし、これがなかなかうまくいかない。
私見だがそれは組織的な問題に由来するのだと思う。

コワイことだが人は普段から指示する立場で振る舞っているとその振る舞いが一般化してしまい、組織内部の常識を一般生活や組織外での活動にも反映させてしまう。

組織内部の「ルール」や「普通(ノーマル)」という概念は組織という限られたサークル・クラスターの中だけで通用するものであり、一般化されたものではない。

一方、ビジネスは異なる組織に属する個人間でのコミュニケーションによってなされる。
そのため双方のコミュニケーションルールのズレを発端とし、諸処の問題が発生する。

通常は「営利」という大目的が優先されるためこの種のコミュニケーションギャップは個人の裁量で「我慢」され封印される。しかし、いったん「営利」という大儀がどうでもよくなるとコミュニケーションから生じた歪みは反復増幅され、破壊的なパワーを持った悪意へと転換される。

こうしたコミュニケーションに起因する諸問題は我々社会を崩壊させかねない根幹に関わる問題だと思うがこれを解決する方法はあるのだろうか?

明日も、別な角度からこの問題についての考察を続けてみたい。