「でも本当に悪趣味なのは新聞の記事だ」

「でも本当に悪趣味なのは新聞の記事だ」(By Damien Hirst)

いいかどうかは別にしてこういうことは率直に言えるはずなのである。

本来は誰でも。

何故、言わなくなってしまったのか、問題はそこだ。

だいたい教育のところに行き着くんだが考えないってのが最大の問題なんではなかろうか。

何にしても情報をインプットするだけであんまり考えなくなってしまっているように思う。

電車に時々のるんだけどたまに時間をミスると混んでいる電車に乗り合わせる。

こういう時は電車で人を観察している。

誰も楽しそうではない。

口をへの字に結んでムスっとしてる人が多い。

でもなあ、だったら、なんでそれをどうかしようと考えないのだろうか。

都市と半端にベッドタウンで人がわんさか住んでる町の狭間くらいにあるパっとしない駅でおりると5秒くらいで「はいさようなら」と思うことがある。

まあまあキレイだし、住めばそれなりに楽しいこともあるかもしれない。が、根本的な部分で活気とダイナミズムがない。これはかなり致命傷で人を疲弊させる。じゃあなんでそういう場ができてるのか、と考えればいい、と僕は思う。グチでもなんでもきっかけはいいと思うのだ。そこから考えるというアクションにつなげるのが大事で、それがないと行動もないし、ダイナミズムもない。なんでもいいから脳を使って自分で思考することをはじめればいいんではないだろうか。

日本がどうの、とか、社会がどうの、というのは聞き飽きた話でそんなのを全員が論じる必要はなく、それぞれがそれぞれにとって問題だと思うことは何かとか、それを合理的かつベストに解決するにはどうすればいいのか、を考えればいいと思うのだ。

このプロセスなしに印象やら感情で解決しようとするから議論の前提を共有できずコミュニケーションが不成立になり、情報の循環が滞る。なんのことはない体と同じで循環させてやればあとは自己組織化が進んでいく。

この投稿へのコメント

  1. ほりお said on 2006年6月11日 at 7:24 AM

    先日、三郷市議会で「ストロー現象」について質問する議員がいました。
    曰く「つくばエクスプレス」の開通で、三郷から秋葉原、浅草に消費が吸い取られてしまうのではないか、市は何か策を講じているのか…と。
    でも、そんな現象が起こっている、あるいはこれから起こるということを示す客観的なデータはないし、仮にあったとしてもそれが三郷市にどのようなデメリットをもたらすのか、ということをその議員は一切語らないわけです。
    カガヤさんのいう「印象やら感情やら」でモノを言っている地方議員には心底辟易します。
    「格差社会」という言葉もそれに似た曖昧さを含んでいますね。

    「なんとなくよろしくないね」と皆が思っていながら、それが何なのか考えず、そのまま放置している事例が、特に地方にはイヤと言うほどあります。まずはそれぞれの足下から考え、行動していかないと、というカガヤさんの意見に同意。というわけで、最近週末のゴミ拾いから始めました。

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