週末雑記:TKM Reportが12万PVを超えていた
2月にアップした「TKM Journal 超小型プロジェクターに驚いた!」の視聴数だがさっきみたら137000PVを超えていた。
今週、Youtubeのトップページに掲載され、途中で爆発的に視聴数が伸び始めた。
動画の内容はいたってまともである。
超小型プロジェクターについての動画レポートである。
といってもレポーターがやるようなレポートではない。
いつもやっているプレゼンの方法で動画を作成している。
だから動画レポートであるけれど「動画」はない。
静止画とコメントで構成されている。
シンプルなレポートである。
話は飛ぶけれどブログが流行り始めた頃に「メタブログ」というのを多くの人が書いていた。
その頃にメタブログを熱心に書いていた人たちのブログはいまや跡形もなく消え失せ、プロフェッショナルな人々がブログで情報発信をはじめている。
動画にも同じことがあてはまるのかもしれない。
僕自身、動画で情報を発信することについての動画をつくりたいなあ、と思うがおそらくそれは研究者の仕事であって自分がやるべきことではない。
○○論といった議論は面白いのだがそこで語られる言葉は議論の対象が内包する本質とは異なる。
イチロー論を語ったところでイチローなプレーができるようになるわけではない。
プレーのレベルを上げたいならそのための方法を発明する必要がある。
書店にいけばビジネススキルや経営マインドやモチベーションについての本がごまんとならんでいる。
先日、銀座のブックファーストでこれらの書籍をかたっぱしから読んでみた。
驚いたことにどの本も面白い。
エンターテイメントなエッセイに仕上がっている。
エッセイ風にするものやストーリーテリングの手法を使うもの等、表現の方向性の違いはあるようだが基本は
・現状確認と問題提起
「いまこんな問題あるんじゃない?」
・理由説明
「何でか説明しよっか」「でも、こういうのが理想だよね」
・解決法探求
「どうすればいいか考えよう」
・ハッピーエンド
「視点の転換がポイントじゃない」
「視点を変えるとほらあなたでもできそうじゃない?」
大雑把にいうとこんな感じだろうか。
基本はどれも応援歌風で小さな物語によってリアリティを演出していた。
どれも大して違うことはいってない。
だが、それぞれ演出が凝っていたり、展開が速く、なかなかに読ませる。
おそらくこれには理由があって、大きな物語を前面に出してしまうと抽象度が高くなり、伝わりずらくなるのだろう。
なんだかケータイ小説と似ているなあ、と思った。
で、ケータイ小説は今頃はどんな状態なのかなと思ってみてまわったら、ナント、メタケータイ小説みたいなケータイ小説解説・論評本が何冊かでている。面白そうなのでパラパラと読んでみたら、これがやっぱり面白い。論評というのは分析する人のバイアスでいかようにも展開できるのだなあ、と感心しつつ楽しく読ませてもらった。
なるほど。
ケータイ小説がウケた理由は本そのものを読む人が大幅に減ってしまい、結果、抽象度の高い大きな物語を理解できない人がたくさんできていて、その人たちにとっては小さな物語(抽象度が低い物語)の方がしっくりくるのだが、本をつくる人は頭がいい人が多いのでどうしても文章の抽象度を高くしてしまいがち。
そのため読める本がないので本を読まないという人たちと、本を出す側の人の間に「ズレ」が生じてしまっていた。
この「ズレ」を埋めるカタチで登場したのがメールとも小説ともとれる不思議な文体のケータイ小説なのだ、という話はものすごくしっくりきた。
うまい説明だなあ、と感心してしまった。
で、ここで冒頭のメタ動画とかメタブログに戻るのだけれど、ケータイ小説を書く人はメタケータイ小説論は読まない、と、僕は思うのである。うまく言えないけれどこの断絶がおもしろそう、と感じている。論じるのが得意な人にうまいこと代弁してもらってるなあ、とでも思ってた方がストレスもなく楽しいわけで、作り手はつくりつづけることに集中した方が脳がドライブするハズというのが僕の考えてである。
というわけで、メタ動画な話もやったら面白いに違いないのだけれど、いま脳のパワーを使うのはそっちじゃないだろうな、と思うのであった。
以上、雑文也。
そうそう、映画「バンテージ・ポイント」を観てきた。
LOSTのメインキャラのひとりである「ジャック」を演じているマシュー・フォックス(Matthew Fox)が重要な役で登場しており
「おぉー、ジャックが出ている!」
とひとり感激してみていた。
そういえばジョージ・クルーニーも最初は「ER」のロス先生だったし、LOSTをきっかけにマシュー・フォックスもああなるのかな、とひとり感慨深いものを感じていた。
ジョージ・クルーニーも10年間くらい鳴かず飛ばずだったのが「ER」でいきなりガツンときたわけで、無名な人が流れにのって妙なオーラにつつまれていく成長のダイナミズムは米国の映像産業の魅力の一端でもある。
ちなみに映画「バンテージ・ポイント」は予想に反してアクション満載な作品であった。
とにかくデニス・クエイドが無茶苦茶オイシイ役でブルース・ウィルスばりに派手に活躍します。
また大幅に話は飛ぶのだが「ビルダーバーグ会議」ってのがあってトンデモ本まででてる有名な秘密会議でここで世界政府の可能性について論じられてるそうな。その叡智をもって僕の未来の可能性についても検討してくれないだろうか皆さん、と一瞬、本気で思ってしまった。
「バンテージ・ポイント」上映まで時間があったので「サラリーマン金太郎」の20ー30巻を読んでみた。
金太郎は八面六臂の活躍をするのに全然、報われなくてやった成果の99%くらいを会社にもっていかれてしまっているので驚いた。
こんな会社あったらスグ潰れるんじゃないか?
金太郎の設定もすごくて、ものすごい活躍して成果も出してて、日本の富豪やら闇社会の紳士とツーカーなのに失職していきなり土木作業員になってたりする。
ヒロイズムの方向性も「真実一路」のバカ正直が世界を変える、なノリで、これが人々の心を打つ、という世界観のもと物語が展開されている。凄まじいファンタジーゾーンにクラクラしてきたわけだが、読み進めるに従ってこのマンガは功名なパロディであり、人々がひかれる面白さの正体は金太郎のヒロイズムでもなんでもなく最後にシャンシャンでしめちゃう「水戸黄門の印籠効果」と同質だと確信した。
サラリーマン金太郎、なんとも面白すぎであった。
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