2011年の春と五月の雑感

長いことブログを書いていなかった。
最後にエントリーを書いてから様々な出来事があった。

五月にデモした「脳波で動くネコミミ」は世界中から問い合わせが殺到し、いまだメディア対応ができていない状況である。
ドイツのテレビ局、ディスカバリーチャンネル、ロンドンの某イベント、世界は広いなあと実感しているここ最近だ。

■脳波ネコミミ
http://www.neurowear.net

この事象に関連して日本(ひとくくりにするのが適切だとは思わないが)からの問い合わせは象徴的で、海外からのそれとは異なるものが多い。

国内のメディアからの問い合わせもあるが基本は「消費」が目的なモノが多いように思う。

ここからは雑感なので書きたいことを書く。

日本というくくり方が自分は好きではないけれどどうしても「日本は〜」という言い方をしてしまう。
それは自分の中にある未練が原因なのだろうけれど日本的なものの意味がだんだんとネガティブな印象を帯びてしまう。

その根本にあるのは「このよ→個の世」という感覚だと自分は考えている。
「個の世」とは友人の清田君がいっていた概念だ。

いつしか多くの人々は「個の世」を最優先するようになってしまった。
だから人々は「個の世」を生きているのだ、と清田君がいっていた。

今宵も新橋でそうしたシーンに出くわした。

この場では詳細についての説明はひかえたいけれどリアルに顧客と対面するビジネスにおいて、あのような対応は致命的なダメージを与えるであろう。人が素直になれなくなった、あるいは、素直になることがマイナスな社会がいまの側面であるならば、それはどのような反射作用をもたらすのだろうか。

個人的には「人としてのあり方」へと価値がシフトするのではないかと考えている。

そういえば昨日はいいこともあった。
19歳の青年と長い時間ディスカッションした。

非情に楽しい時間であった。
ああしたディスカッションができることを幸福に思う。

人の世界はコミュニケーションでなりたち、人の世界の問題の90%はコミュニケーションによって生じている、と自分は考えている。