夜と朝
以前にも書いたが夜が朝に変わる時間。
昼が夜に変わる時間。
二つの狭間な時間に自分は強く惹きつけられる。
自分の奥底にある本質が感応しているように思う。
昨日もそんな話をしていた。
自然や地球や宇宙を感じるような時間に出くわすとそれがいまこの瞬間にしか存在していないもので、
一瞬あとには消えてしまうことが直感的にわかるから、いまという儚くうつろう時を誰かと共有しホロニックに記憶しておきたいと願うのだろう。
それが切なさというものであろうと僕は思う。
夜の紅葉は美しい。
しかし光がなければこの景色も存在しない。
写真とは光を写し取ることだ、とどこかで読んだ。
色を美しいと愛でるのは人の性である。
これもまた固定できないものだ。
木々は人の為には存在していない。
夜であれ昼であれ同じようにそこにある。
以前、茂木さんが
「ティルマンズの写真をみるとゲイの人には世界の関係性がこうみえているんじゃないか、を感じさせる」
というようなことを言われていた。
他者の目には世界はどのように見えているのだろう。
気配でもいいからそれを感じられるなら世界は丸くなっていくのだろうか。
この投稿へのコメント
こんにちは
とても綺麗な写真です