またしてもやまけんと偶然ばったり。mF247から招待状がきていたが…
階段を登って禁煙席の方に数歩歩き始めるとなにやらみなれた背中が目に入った。まさかと思って、
机に向かってPCのキーボードを叩く男をのぞき込むと…、果たしてやまけんであった。
「おい!やまけん!!」
「ああああ!!! カガヤ!!これ終わったら連絡しようと思ってたんだよ〜!!」
と毎度ながら打合せなしで偶然出逢ってしまった。
男女ならば運命(さだめ)かと勘違いせんばかりの遭遇確率である。
今回は月島のジョナサンでの遭遇だった。
やまけんの原稿が終わるまで奥の席で、willcomのZERO-3を使わせてもらう。なんとパワーポイントが内蔵されている。
とはいえメインはネットワーク機能。どれどれと使ってみるが接続がうまくいかない。あきらめて持参してきた資料を読む。
仕事を終えたやまけんが席に移ってきてワイワイと話をする。執筆中の本のゲラなどもみせてもらう。
今回の本では写真が綺麗になっていて驚いた。
ZERO-3のネットワーク接続は結局ダメであった。
「少しクセがあるんだよね」
とのやまけん談であった。先週いっていたというホリエモンツアーの話が面白かった。特にタカシロ氏の逸話が印象深い。
「世の中面白い人はたくさんいるよなー」
と二人で納得。その後、やまけんを見送ってからジョブズ本の続きを読み始めた。iPodデビューの話が読みたくて、
長いこと読み続けていたが、ようやくスティーブ・ジョブズ-偶像復活を読み終えた。
iPodもかなり綱渡りなデビューであったことを知った。iTunesもAppleがオリジナルにゼロから開発したソフトではなく、
サウンドジャムMPというMacのMP3プレイヤーとして成功していた定番ソフトをベースに開発されたものであった。
開発過程は毎度ながら綱渡りなのだが新しいものがでてくるときは同じような空気があるように感じた。
読み進めるうちにビジョンが見えてきた。
こういう感じだな、というのがつかめた。
ネットワークやアプリケーションを使うことに関して僕はユーザとして少しだけ恵まれた環境にいると思う。
ほんのちょっとだけれど未来の体験が可能な立場にいる。
研究している人たちにくらべたらほんのちょっともちょっとくらいの話だけれどユーザレベルでの体験としては30cmくらい先行していると思う。
こういう体験はだいたい失敗やら無駄の繰り返しの上になりたっているんだけれど、
こういう無駄がプランニングの場では少しづつ効いてくる。体験には思っている以上に情報的に価値がある。
時間は少しさかのぼる。
午後3時頃、ポストを開けると上記のハガキがはいっていた。昨日、行われたmF247の前夜祭の招待状であった。
チームからは津田さんとチョウさんの二人がいっているハズだが、別ルートからオレにも招待状がきていたのはびっくりした。
行こうかと思って外に出たのだがあまりの寒さに部屋に引き返してしまった。
行こうか行くまいかを迷うような時はどちらを選んでも大差はない。
こういう時は流れは来ているのである。行かないを選んでもやまけんとの偉く俄な遭遇をしたりするわけで。
なので最近は迷ったらどちらを選んでも正解だとわりきっている。
意思決定がうまくいくと流れがだんだんとできてくる。
とはいえ、しょっちゅう天秤にかけたりしてしまうけれど。
ここ数日、外はすごく寒い。
そのかわり空気が澄んでいるのか毎日こんな夕暮れが見える。
それにしてもMacがこの世にでてきたのも、ミスターインクレディブルのピクサーがいま存在するのも、
クラクラするような綱渡りの結果だ。直感的なものだけれど「綱渡り」
という状態があることがダイナミズムの源流となるのではないかと僕は思う。
恋愛とか人と人の関係とかも似てるところがあるかもしれない。本性があらわになる「綱渡り」
な状態がつくりだすダイナミズムをプロセスとして組み込むことで「面白さ」「コンテンツ性」が生じるのではないだろうか。
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