感動するとき
「ああ、この人たちと会いたかったな」
とか
「あれ、なんでオレここにいてあそこにいないの?」
とか
「わかってるよ」
とか思うような感覚があって。
それは映画を観てる時だったり、話を聞いている時だったり、いろいろある。
「共感」
という感覚なのだろうけれど「コミュニケーション」に付随した「理解」とか「わかる」とかいう感覚が僕は好きだ。そういう感覚が蘇る
(生まれ出るというよりは蘇るようなリコール感が強い)時、意識に透明さが増していき
「そうだ、忘れてた、やろう。忘れてたよ」
と思うのだ。こうした感覚が毎日、
朝と晩に訪れるような生活のパターンやリズムをつくることができたら人の可能性はどんどん広がっていくと思う。
僕は人の可能性と書いたけれどそれは「個人」の可能性というよりも、他者との関わりの間で幾何数級的に広がっていく
「人力(りょく)」とでもいうべきエネルギーである。
こうした共感覚が発動する時、人のパワー(創造性であったり、突破力であったり、圧力であったり(押す感じじゃなくて包み込む感じの)
)が爆発的に広がる。
こうしたドライブ感をどうやったら日常的につくりだせるのか。それが課題だ。
また、プランニングの本質はこのドライブ感にある。
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