メディアについて妹と議論した

幼稚園の頃から知っている男の子が明日、大学の卒業式ということで妹達も交え、卒業祝いの前夜祭。

遅れて到着したので90分くらいしかいなかったのだが間に合ってよかった。

ゴルゴ13の愛蔵本をプレゼントしたかったが秋葉原の有隣堂で見つからず、真面目に仕事で役立ちそうな本を2冊選んで贈った。
あの2冊を読みこなせばファイナンスとネットの基礎知識はつくと思う。オレが10年前に読んでおきたかった本である。
なにせ10年前は浮かれていて「複利」という言葉させ知らなかったし、ネットワーク理論、ましてやグラフ理論など聞いたこともなかった。

さて、妹と話していたら何かの流れでメディアの話なった。

広告収入モデルによって成り立っているTVコンテンツは、収益構造からいって商品価値のあるコンテンツ、
より大多数の人を惹きつける可能性のあるモノを指向せざるえない。まあ、「より多くの人が見たいと思うモノをつくる」ということだ。

ハリウッド映画やゲームのメジャータイトルも同種の傾向にあり、膨大な数の人間に向けて多くは「娯楽」
としての情報を発信しなければならないからだろうか、何故かパターンが決まってくる。相も変わらず、それに反応してしまうのではあるが。
勿論、そうでないものもたくさんあるだろうけれど広域なユーザを対象としたコンテンツは人々が潜在的に「見たいと思っているモノ」
を指向する。良し悪しは別として、そういうものなのだ。

まあ、それはいいのだが。

妹から反論を受けた。

「そんなのは前からそうで、何も変わっていないんじゃない?」

とのことだった。なるほど。

しかし、変わっていないならそれでいいのだろうか?

という疑問もある。

何を良しとするかは人それぞれの感性かもしれない。

オレの周りにはTVを観ない人の方が多い。

また、オレ自身、 TVはほとんど観ない。観るのはドキュメンタリーとかリアルタイムの中継とかに限られる。
そうしたコンテンツの中には良質なものもある、と思っている。

なのでオレの趣味や興味からいうと現在放送されているコンテンツの多くはつまらない。昔の方が面白い番組が多かったのになあ、
と思うこともある。

これは番組の質が変容した、というよりも、コンテクストが変わった影響が大きい。

ひとりひとりの生活環境、社会との関わり方は多様化していると思う。
鉄道に関係している人にとっては鉄道の番組はぐっとくるコンテンツかもしれない。
オレみたいに格闘技マニアにとっては格闘技の中継ははずせないコンテンツだ。

けれどひとりひとりにとってぐっと来るかもしれないコンテンツを目指すと、何千万人という人々を満足させるテーマからは離れていく。
それが専門的であればあるほど合致している人にとっては面白いが、より多くの人に対してアピールしようとするとズレてしまう。

より多くの人を捉えようとすれば、表現や内容は「彼らが観たいと思うものをなるべく一般化したもの」になっていく。

基本的にTVは情報を発信しているというよりも

「人がみたいと思うものを映し出している」

のである。

それらは情報の消費や疑似体験によって人の持つ共通感覚に訴えてくる。けれど、それだと「わかった感じ」
にはなるのけれど視聴する我々の側の働きかけが薄いので経験としてあまり記憶に粘らない。

まあ実際のところTVを観るのはボーっとみてる分にはそれなりに面白く、苦痛ではないよい娯楽である。

問題は苦痛ではないけれど鍛錬にもならないところで。

同じ動画でも例えば映画「ストーカー」とかタルコフスキーの映画はいくらTVで放送されていてもボーっと観ているのはかなりツライ。
反面、がんばって観ることができて、なおかつうまくフラグが立てば「スゲー!」という体験が待っている。

自分が積極的に「観る」ということをしないといけないコンテンツの場合、観るのは決して「楽」
ではないがそれによって得られる感覚はボーっと観ていて得られる感覚とは全く違う。

もっとライブに近い。より個別な体験だ。

恋愛だって当事者として関わっているのと傍観者として観ているのでは全然違うわけで、
そういう感覚はいまのTVコンテンツはあまり提供できていないように思う。

といっても、オレは日課で毎朝、その日のTVプログラムを全部チェックして、5分くらいだけれど全番組表をざっとみる。で、
これはと思った番組は観る観ないはともかく映像ソースとしてアーカイブしておきたいので録画する、
というようなことをやっていたりするわけで基本的にTVが嫌いではない。

情報収集が趣味化しているだけなんだが。

話が飛んでしまった。

ようするに妹に問いかけられて、オレは「TVコンテンツは編集によって物事に演出を加えコンテンツ化する
(例えそれが大した重要なことであってもなくても)」ということをやるけれど、かなり安易に単純化している場合もあって、
それによってものすごく多くの人が単純化されたイメージを一般的なものだと納得してしまうと、ダイナミズムを損なう可能性があって嫌だな、
と思うのである、ということを言いたかったのだがうまく言えなかったので書いてみた、という次第です。

以上。

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  1. 21 black fun jack play said on 2007年1月22日 at 3:58 AM

    21 black fun jack play

  2. 21 century estate lie real said on 2007年1月25日 at 4:36 PM

    21 century estate lie real