APIはコンセント、あと吉野家ネット

湯川氏のポッドキャストを引き続き聴いている。

ホットリンクの内山さんという方へのインタビューである。

インタビューで興味深かったのは

「Googleは東京電力みたいなものでAPIはコンセントの形状みたいなものなんですよ」

という表現。うまい表現である。同じことは頭でわかっているがこのように表現すると誰にでも伝わる。
インタビューでは終始Googleについての問題意識をベースに進められている。

世界ではいろいろな人がGoogleとは異なる検索技術を日々考えているのだろう。

先日、どこかの記事で読んだのだがMy SpaceのようなサービスはGoogleとは全く違う場所から出てきている。
こういう事例に興味を覚える。言うだけなら簡単なので言ってしまうが、
Googleを意識するとそれ以上のものは出てきづらくなるように思う。

はてなのような会社が1000社くらい出来てくるとそのうちのひとつくらいは「こういう会社を待っていた」
「こういうサービスを待っていた」というものが出てくるんじゃないかと思う。まだまだ数が少ない。

例えばウェブのサービスのほとんどはネット系の会社から出てきている。つくっている人もネットの人、IT系の人が多い。
ここに全然違う領域からの参があったらどうだろう。

例えば、吉野家ネットというような会社があって、全国の全ての吉野家をネットワーク化していて、
牛丼を食べにいったついでに様々なネットサービスのインターフェイスとして利用できる、みたいなものをつくりあげてしまう、
というのはどうだろう。

牛丼を食べにいくとそこで吉野家ネットに対応したリーダー端末があり、
牛丼を食べた人はそこで様々なコンテンツなりサービスを利用できる。支払いはすべて電子マネーでOKとなり、様々な商品を購入できる。
キャンペーン時には映画や音楽などのコンテンツを無料で提供し、メディアとして機能する。

わかりやすくいうと吉野家ブランドの情報コンビニのようなものだ。

みたいなことがあちこちで起こるのではないかと思う。ソニーが銀行をつくったり、セブン・
イレブンが最大のATM保有行になるなんて10年前は誰も思わなかったわけだし、
吉野家が一般向け情報インフラの大手として機能したって不思議じゃない。成人男性なら月に一回くらいは吉野家にいくだろうから、
DBからマッチングエンジンを構築すれば有効なマーケティングメディアとして機能する。

他にも量子的な店というのもあってもいい。ある時、ある場所にいくとその時だけそこに情報空間として発生する店があったらどうだろう。
見えないお祭みたいなものだ。そうそう、
お祭だって情報を扱うわけだからあれがフェスティバルとしてネットワーク化されていったらどうだろう。

いまは連携とDBがないのでメディアとしての機能が弱い。しかし、祭りがDBを持ち、
効果的に機能するようになれば強烈にロイヤリティの高い顧客が集まるメディアとして機能する。そこでコンテンツを流通させるもよし、
無数のマッチング機会が予想される。

という感じであらゆる場所がまだまだ手つかずで残っていると思うのだ。

書いていて思ったが映画館もまだまだ面白くなる。
どうして同じ場所に集った人々がその場限りでコミュニケーションなしに分散されなければならないのだろう。

そこに居合わせたという状況が持つ情報は思っている以上に面白いかもしれないし、
こういったことが様々な場所で超ローカルに相互作用していくことで「伝わるべきところに伝わるべき情報が伝わる」
というオプティマイズ化が進むのではないだろうか。

この世界の不幸のほとんどは適切な情報が適切に伝わっていないことで生じているというのが僕の考えである。

情報が自律的にいくべきところにたどり着く環境で人の持つ能力は最大化する。
個人の持つ能力の差異とそれぞれの持つ能力の最大化度合いは異なる。能力があってもそれを最大化させることができていないと不満を感じる。
同程度の能力であっても能力を最大化していると感じていれば豊かさの追い風が吹く。

こういう風がたくさん吹いている関係性は豊かな時間をつくりだし、豊饒な時間をつくるメタな部分での情報インフラとなる。

あとちょっとでこのあたりに触れるサービスがでてくるような予感がするのである。

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