TVってすごいわ。はてな・近藤社長、mixi・笠原社長が出演したカンブリア宮殿をみてそう思った

昨夜のカンブリア宮殿の録画を朝にみた。

ミクシーもはてなもTVの画面だとネットで使っているコレとは全く別物になっている。メディアのバイアスによるこの変質っぷりに驚愕した。

これじゃあIT・ネット系に限らず企業の株価が乱高下するのもわかる。

既存メディアな人たちや業界が反抗する気持ちもわかるなあ、と思った。あれだけガッチリ、人の世界に入り込んでる媒体を持ってるって、
そりゃ、楽しすぎるわ。

番組ではペーパーボーイ社の風景もでてきた。

あの人たち、面白いサービスをつくるのだがああいう雰囲気ならわかるなあという気もする。

じゃあ、あの雰囲気でコンテンツをやったらうまくいくだろうか。

この部分がまだわかってないのだなあ。

どうなんだろ。

Appleも伝記を読むと思ったよりもガチだし。
Mac誕生のあたりなんてレジェンド化してるため美化されるが全然ベタにウェットなマネジメントでやってるよなあ、と思う。
とはいえそこは米国、モチベーションマネジメントに関しては日本とは比較にならない効率の良さを発揮していたのだと思うが。

にしてもだ。

僕が考えるのはコンテンツに関わるネットサービスをつくる上でのマネジメントのモードである。これにはこれのやり方があり、
既存のやり方ではダメだと思うのである。
叱咤激励やら根性系なもモチベーションマネジメントはソーシャルエンジニアリングをベースとしたサービスには向かない、
というのが自分の心証である。

なんかこうプレッシャーによる能力のドライブという手法は「楽しそうじゃない」という脳を刺激してしまい、
根本的な部分に違和感を感じる。そうしたやり方で構築できるサービスはエンターテイメントではないものだと思うのだな。

Gyaoってまあまあスゴイと思うのだが僕の場合はGyaoを視聴することはあまりない。
あそこにあるコンテンツを貯まりに貯まったDVD群やDVRに録画したTVコンテンツを押しのけてまでみたいと思うものではない。

じゃあ、ネットでどんなものをみてるのかといえばジョブズのキーノートスピーチだったり、先日のジェリー・ヤンの講演だったりする。
なんでそれらをみたいのかというとそこにしかないからである。

CMを突っ込むタイプの広告モデル。これもまあわからないではない。でも、本音のところではCMがないほうがユーザにとっては嬉しい。
ということはCMが気にならない、あるいは無いサービスが開始されたら提供されるコンテンツが同程度ならばそちらを利用する、
のかもしれない。

あるいはこういうことかも。

任天堂DSに対ネット用動画ブラウザが装備され、オンラインで自分のライブラリを保持できるなら、それがベストだったりする。

何で視聴するか、とか。

何処で視聴するか。

といったコンテクストがコンテンツそのものよりも大事になってくる可能性が高いと僕はみている。
万人に受け入れられるコンテンツは面白いが薄くならざるえない。
尖ったものは受け入れ可能な人にとってはインパクト絶大だがそうでない人にとってはほとんどノイズだ。

なのでマス志向な展開でコンテンツを扱うと滑る気がしていて。

よりコンテクスト志向にいかないといかんなと思うのである。

モチベーションマネジメントとガバナンスの話に戻るけど責任ベースのやり方はなんかもうダメなんじゃないかと思うのだ。
それって大作主義というか重厚さはいいことだ、みたいなのが考えのベースにある気がする。

ネットでそれやっても意味ないんじゃないだろうか。

映画館や他でやったらよくて。

ネットの場合はそっちの重厚さじゃなく「コンテクスト」の開けっぷりや、
潜在的なダイナミズムの遺伝子の気配みたいなものが重要だと僕は感じている。そっちの下地がまずあって。
ウェットさが前にでるのはもう少し先だろう。だからサービス自体をつくっていくマネジメントやガバナンスも変えなきゃいけないと思うのだな。
少なくともいまの段階では。

人の能力を開花させるのに力道山スタイルで猪木をつくるってのはケースによっては効果的だがこのばあいはあまりあってなくて、
祭りのモードでいかないとダメだというのが僕の直感である。

説教じみて祭りをやってもしゃあないわけで。礼節やらスタイル、厳しさ、心構えは重要だがようはどれだけ「ドライブ」
できるかにかかっている。で、人は楽しくないとドライブしない、というのが僕の考えである。

そして「ドライブ」を止めるのはほとんどの場合、セコさかなあ。あと、ルールっていうか、要領の悪さっていうか、ノリの悪さというか、
ダイナミズムを食ってっちゃうような言葉だったり、空気だったり。

と、つらつらと書いていたら、そんなことを思ったのであった。

あと、ひとりごとなのでテキトーに書くと。

こうやってつらつらと書いてポっと出したり、ヘタな絵を描いて出したり、できる程度で話を録音してポッドキャストで発信したり、
何がってわけでもないのだがこういうのの楽しさってあるわけで、
ヘボくてもこういうのをやってる頭で考えるのとやってない頭で考えるのは似てても違いはあると思うのだ。

若い友人たちは違和感なく日記かいたり、いろいろ発信したりしてるからなあ。昨夜の番組では中学生が勉強をはじめるまえの日課として
「はてな」の質問に答えてたが、どんどん加速すると思う。
というのはコミュニケーション要素がエンターテイメントの重要な構成要素になりつつあるように感じてるし、
それは実社会でのコミュニケーション機会が薄くなっていることの裏返しかな、と思うのである。

やっぱり、コンテンツも含めて情報過多になってるから処理の限界にきてるんだと思う。このあおりがいろんなところに出てるわけで、
例えばGoogleなんてデジタル化された情報がこうまで爆発的に増加しなかったら全く価値がないわけだな。

ということは「逆も真なり(By猪木)」というわけで

「情報過多を前提にしたコンテンツ、ってどんなかな」

を考えたいなとも思うのである。(だってさPS2の全ゲームをやるのはほぼ不可能なわけで、これって大きな問題だと思うのですよ、と、
この二週間のゲーム漬けで感じた次第です)

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