体調復活、金子郁容先生の本とかクラークとかアシモフについてのメモ
昨夜は早く帰ってきたのだがジョナサンにいって食事をしたら気持ちが悪くなり、目が覚めた。
結局、午前6時くらいまで作業をしたりと普段とあまり変わらない時間に眠った。
久しぶりにファミレスにいったのだがハンバーグの付け合わせとトッピングのひどい味に驚いた。あれを商品化した人は自分でも食べたはずである。何故あの味でGOサインを出したのだろう。しばらく考えたのだがわからなかった。
・デリバリーされる過程で食材が劣化した
・調理の手順を間違えている
・調味料を入れ忘れた
などプロセスのどこかに手違いが生じたとしか思えないような味であった。
ところで夜のファミレスも人間観察の宝庫である。
午前1時過ぎのファミレスには様々な人々が集う。
人間というのはそれぞれがそれぞれのドラマを持っているのだなあと思う。
男性客でファミレスを半ば家のように使っている人がいた。
50歳くらいの男性。
あぐらをかいて本や新聞を読んでいる。
自分の家のリビングで新聞を読んでいる、ような雰囲気が漂っている。
文章にしてしまうとなんでもない光景になってしまう。
しかし、この男性、ひとつも楽しそうではない。
苦行というほどにつらそうなわけでもないが全身から「楽しくないぞ」というオーラが漂っている。
このタイプの人もよく見かける。
そうだ金子先生の本のことを書こうと思っていたのだった。
学生時代に「“ボランティア―もうひとつの情報社会” (金子 郁容)」という本を読んだ。ボランティアの実例や体験についての記述部分と個人がボランティアというモードに入ることで引き起こされる情報のダイナミズムについての本である。
この本の中で「オメガポイント」という概念について触れられている。自律と相互依存の究極の状態をさす言葉でテヤール・ド・シャルダンによって提唱された概念である。読みながらアーサー・C・クラークの「“地球幼年期の終わり” 」のラストシーンを思い浮かべた。
上記の著作を読んだのは学生時代だがいまだに時々思い出す。
ネットワークに関わる仕事が多いせいかそういう未来像に対する希望がなくもない。そうなったらいいなとは思う。
情報通信環境の進化は「オプティマイズ」へと向かっている。
あらゆる人々がその人の力を最大化できる環境にリンクされていき、いくべき人にいくべき情報が伝わる世界も悪くない。
アーサー・C・クラークの名前を書いたらアシモフについても触れておきたくなった。(全然関係ないがクラークは確か執筆にアミーガを使っていたんじゃなかったっけ?)
上記はアシモフのロボットシリーズと銀河帝国シリーズが融合してくるあたりの物語だ。アシモフとの出会いは大学時代だ。有澤先生に進められてファウンデーションシリーズを読み始めた。
心理歴史学という未来を予見する科学が発展した未来。3万年の暗黒時代を1000年に短縮すべく設立されたファウンデーションという機関が設立されるところから物語ははじまる。このファウンデーションシリーズは後に一連のロボットシリーズと融合されていく。
ファウンデーションシリーズは翻訳があわないくて途中で読むのをやめてしまっていたのだが、ロボットシリーズはべらぼうに面白く、ハマッてしまった。
ロボットシリーズの面白さの核はシリーズ第2作の「“はだかの太陽” 」から顕著になる「コミュニケーション」の問題について深く切り込んでくる部分である。アシモフの提示するコミュニケーションに対する思索が絶妙のバランスでミステリーと融合されている。この核なる部分「コミュニケーション」に対する思索がロボットシリーズとファウンデーションシリーズを融合させるキーになっている。
「はだかの太陽」の舞台はテレコミュニケーションが異様に発達した惑星ソラリアである。そこでは人と人は直接あうことをやめてしまい物理的に接触するのはロボットに限られる。人は人との接触を極度に恐れ、直接的な接触はない。そんな社会で殺人事件が発生する。3原則によってロボットは人を殺すことができない。では誰が?そしてどうやって?
大まかにいうとこのようなストーリーである。ミステリーとして読んでも十分面白いのだがインターネットなどなかった時代にテレコミュニケーションが発展した未来社会を描いていたことに驚かされる。
ネットに関わる仕事をしていて、未読の方には一連のロボットシリーズをおすすめする。何かしらヒントになることが満載である。
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