メディアプレイヤーとしてのSecond Life

Second Lifeに再度とりくんでいる。
今日はブラブラとしてみたのだが土地によってラジオ局のように曲が設定できるのか移動しながら音楽が変わるのは非常に面白い。自分が主体として世界を動き回ることにリンクされ体験化されていく。

なるほど、場所の感覚とリンクしたカタチで新しいコンテクストを付加してコンテンツを楽しむというプレイヤーはSecond Lifeにおいてすでに実現されているのだ。プレイヤーとしての利便性は低いが新規性は無限大である。
これはチューニング次第で化ける可能性がある。

松岡正剛の図書館都市構想と非常に近い気配を感じた。
うまくやればプレイヤー都市が実現可能だ。

つまりこういうことだ。
音楽が場所というキーをもっているのであればその音楽が属するであろう場を仮想空間に作り出してやればいいのだ。雅楽ならば雅楽な場所があり、ロックにはそれぞれの場所がある。それをバーチャル空間につくりだしてやる。尾崎豊のコンサートが再現されていてもいいし、サザンのライブが再現されていてもいい。重要なのはそれが時間を内包した場の概念としてそこに共有され、コンテクストをつくりだしているということである。

言葉や口でいっても伝わらない質感が伝わる可能性のほんの少しの光をみた気がする。
面白くなってきた。この方向でこの1000倍に拡張発展させていったときの未来を想像するとワクワクする。おそらく技術的な困難さとコストではなく、発想と実行の側に重要度が向かうだろう。なるほどなあ。

そうそう肝心のことを忘れていた。冒頭の写真はセカンドライフで音楽を聴いていたら偶然シャチにであったのでパチリとやったものである。こうした経験によってリアリティがつくられ音楽もまた体験化されていくのだ。

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