鉄コン筋クリート

オールナイトの最終回はガラガラかと思っていたのだが意外に人が多かった。

豊洲のシネコンができたので銀座まででなくても観たい映画が観られるようになったのがうれしい。

「鉄コン筋クリート」は原作も読んでいたが随分前に読んだきりだったせいかストーリーの大まかな部分が朧気に記憶に残っていただけだった。

そのためほとんど先入観なしに視聴できたと思う。

鑑賞後、エンドロールの最後の最後に字幕で表示されていた言葉が無ければな、と思った。何だろう、ナイーブさを感じてしまいひっかかりを覚えた。台詞の端々にもそうしたナイーブはみうけられた。漫画だと気にならないのに映画だとそれがいちいち気になった。

視聴前、超映画批評を見ていたのだが蒼井優について言及されいた。素晴らしくピンポイントに論じられているので引用したい。

「個人的には蒼井優のシロは、もはや蒼井優そのものでかなり苦手だが、おそらく一般の人の評価は高いものとなるだろう。」

全く同感である。声が蒼井優そのものになっていてしまい、アニメという非現実世界に現実が入り込み没入感の妨げになっている。

これはなんなのだろう、と帰り道でしばし考えた。
視聴中の非現実世界に彼女の実体が不用意に入り込んでくる感じで時折、異常な違和感を感じてしまう。

自分の脳の中に記憶として情熱大陸でみた蒼井優の妙にプロな感じの質感が残っていて、それが視聴中の映画世界への没入を邪魔するのである。

彼女が無名な存在で情熱大陸にもでておらず頭の中にそのビジュアルが記憶として存在していないのであれば、映画はまた違ったものとして自分には認知されたであろうし、胸の奥にジワリと染みてくる違和感もなかったのだろうに、と思った。

彼女の声が悪いとか下手とかいうわけではないのでそこが残念だった。

それだけ存在感のある女優、なのだろう。

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  1. ショウビズ インフォメーション said on 2006年12月30日 at 8:21 PM

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