RYDEEN 79/07

久しぶりにiTunesで曲を買った。買ったのは下記。


イエãƒãƒ¼ãƒ»ãƒžã‚¸ãƒƒã‚¯ãƒ»ã‚ªãƒ¼ã‚±ã‚¹ãƒˆãƒ© - RYDEEN 79/07 - Single - RYDEEN 79/07

仕事柄、「ダウンロードして聴く」ことプラスアルファな楽しみについてよく考えるんだけれどその発想の起点を再考してはどうだろうか、と思った。人は本当によりよい検索や出会いを必要としているのだろうか?

ベースな立ち位置を、出会いも検索も必要なくて、そこにはいい音楽だけがある状態に設定してみると何がみえてくるだろう。そういえば音楽を題材にした漫画は音は聞こえないけれど面白い。これは単にドラマにひかれているだけなのだろうか。

音のない音楽はありえないのだろうか。空気の振動としての音楽ではなく、創造された情報として音楽をパッケージにすることはできないのだろうか。付帯情報ではなくそれ自体の本質的な情報性を中心に据えたパッケージングはあり得ないのだろうか。

より多くの人の耳に届くこと、曲自体の良さとは関係なく、別なモノと音楽がリンクするのでより記憶に粘ること、がTVのタイアップや主題歌があるていどさばける最たる理由なのだろうか。

つまらない映画の方がビジネスとしては成功するケースも少なくない。(60セカンドなど興業はダメダメだったが商品としてはベストの成果をあげている好例だろう)作品そのものの価値とそれが商業的に成功するかどうかはリンクしていない。

いい素材でいい料理を出すベストオブベストなレストランより、吉野家の方が商業的には成功している。

なんかこのあたりを考えたい。