思考パワーとなるようになる
忘れないうちにメモしておく。
表題、思考パワーと書くと自己啓発系の主題のような印象を与えてしまうのだが僕がイメージする思考パワーはちょっと違う。
ピラミッドをつくろうと思った人は完成する前に存在しなかったあのヘンテコな建造物を「思考」したわけである。
理由はともかく誰かがアレを考えたのであれができたのだろう。
ネットの世界では例えばfacebookが強烈なサービスとして注目集めているけれどアレもかなり後発でやってきて、学校の卒業生同士をくっつけたらどうかな、というのをMark Elliot Zuckerbergが考えてやってみたらこうなったというわけだ。
下記、彼のプレゼン動画である。
http://developers.facebook.com/videos.php
物事は基本的に「なるようにしかならないのではない」のであって、それこそが本質なのではないかと思う。
東京湾を埋め立てて作られた土地の上にたつ近代的なビル群で構成された町を歩いていたら、やっぱり同じような既視感にとらわれた。
海であった場所をポピュラスよろしく土を盛って、土地をつくろうと誰かが考えたからここがあるのだよな、となんとなしに思った。
何でもいいから何かを考える、思考する、ということに一日のうちどれくらいの時間を費やしているのだろうか。
例えばいまこの瞬間に僕が思うのは映画を脳でみるにはどうすればいいかというようなことだったりする。
映画館、TV、PCのモニター、など映像をインプットするデバイスは様々だがやっているのは目という感覚器を通じて光の集合体を脳に送り、それによって脳に蓄積されたプライミング記憶などの膨大な記憶を瞬間的にリコールする行為である。
夢は映像であることが多いけれどあれは感覚器を経由した情報のトランスデュースではない。
あの映像はどこから来ているのだろう?
夢を観る能力が脳に備わっているわけだから感覚器をバイパスして直接情報的に映画を楽しむことができてもおかしない。
あの感覚で物語を楽しんだ場合、それはいかなる体験として認識されるのだろう。
ニューロマンサーやマトリックのイメージとは違うように思う。
あそこで描かれるのはいまの感覚の再現に近い。
また、ハード(ウェットウェアとしてでもいいが)的なオーバードライブをかけずに覚醒夢の感覚をつくりだすのは難しいと思う。
更にそこにコミュニケーションの要素が絡んできた場合、どうなるのだろう。
映画とは異なる映像エンターテイメント体験になるのだろうけれど、案外そこでのコンテンツの発展は映画と同じ系譜になっていく気もする。本質は人の記憶のリコールパターンなわけだから。
とまあ、こういうことを考える時間を自分は日々どれくらい持っているだろうか?
思考し、それを止めることなく更に進めていくと途中で思考が加速、結合する瞬間がある。
考える対象や規模に関係なく、思考するという行為がこのポイントにさしかかるときのエネルギーに自分は興味を持つ。
高校時代、数ヶ月間かけて選択式の英語の試験だけは9割以上の確率で正答を見つけることができるようになる訓練をした。
すると不思議なことに英語とは無関係の数学の問題もできるようなった。
思考の本質はこのあたりにあるように思っている。
ひとつ回路をつくると他の回路もつくりやすくなる。
これがどんどんスパイラルアップしていく。
すると流れができて面白くなってくる。
本質はこの「流れ」の部分にあって、なるようにしかならないというのはこの「流れ」の前では人がどうあがこうと大した影響力はなくやってもやらなくても勝手に進んでいくのではないか?
ではどうやって流れをつくるのだろう?
前述の英語の訓練の時にヒントとなる出来事が確かにあった。
その瞬間をいまも覚えている。
高校時代はずっと勉強の仕方もわからずにいたのだがある人に試験というものは出題される問題の正答を当てることができればいいのだと教えてもらった。英語の場合、単語をひたすら覚えたりしがちだ。しかしその手の勉強法は記憶の構築に長けた脳特性を持たない場合、極めて効率が悪い。それよりも文章中にある単語を覚える方が記憶に残しやすい。
そこで長長文といわれていた慶應文学部の実際の試験問題を10年分、解くことからはじめた。
といっても英語など読めもしないので一行を解読するのに数十分かかることもあった。
思えばシーシュポスの神話並みの果てしない苦行であった。
5〜6時間くらいかけてコメントをつけながらようやく1年分の長文を解読した。
この時である。「あれ、なんか英文読めるようなった気がするぞ」と不思議な感覚にとらわれた。おそらく回路の核が構築されたのだと思う。あとは幾何数級的に進んでいった。
最初の核をつくる部分が最もきついのである。
しかし、ここができてしまうと「なるようになる流れ」ができてくる。
不思議というか単純というか。
世界の本質は「なるようになる」であり、それが拡大縮小されあらゆる事象ができているだけなんじゃないだろうか。
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