888

示唆的な2日間であった。

電車に乗ったら「運が悪いんだろうなこの人」と思えるオジサンが隣に座っていた。
オジサンは10分の間に100回くらい地図を読み返して、ダイモンについて扉が止まる5秒くらい前に「あ、ダイモン?ダイモンか?!」と転びそうになりながらおりていった。

帰りの電車。
中学生くらいの少年が世界を不安そうに見つめながらソワソワしていた。
父親らしき人もソワソワしていた。
不幸そうな親子に見えた。

新宿行きの電車に乗ると少年(またしても中学生)が角ポジで膝に頭を乗せてうつぶせにつっぷしながら眠っていた。ものすごくつらいことがあったようにしか見えない。彼もひどく不幸そうであった。

東京の地下鉄は不幸な風景が満載なのか?

向かいの席のオジサンはしかめっ面で口が屁の字に曲がっていた。
世界は彼にとってまったくもって楽しくないのだろう。

そんなことを思いつつ、ICCに来た。

会場には藤幡先生と坂根先生がいらした。
二人とも超ご機嫌であった。
この二人のモードとさっきまでの電車の往復でみた人々が同じ時代に生きていることは何を示唆しているのだろうか?

坂根先生は70歳は超えているだろうけれど、チャキチャキで。ICCでハンディカメラを借りて会場を撮影しながら、スピーチを求められ、ガツンといい話を決めていた。
藤幡先生も相変わらずの自然体であった。

帰宅して、鍋をつくって、情熱大陸を観たら、小栗旬が全力疾走していた。演出が過ぎるがいい出来であった。公園で台本を暗記している小栗旬をみていて思った。あと何年したら人は記憶の呪縛から解かれるのだろう?

何年か前にD. タメットのドキュメントをみた。
人の脳には驚異的な記憶メカニズムが潜在的に存在している。僕を含めほとんどの人はその能力を覚醒させることなく一生を終える。強力な記憶のメカニズムの秘密はどうやら共感覚にあるらしい。

タメット君の場合は数字が風景に見えるそうである。9は強烈な虚無、みたいな。僕らがみても円周率は無意味な数字の羅列だが彼には映画やドラマのように見えるのだそうである。

優れた音楽家も音は音以外の感覚と結びついてきこえるらしい。
対象となる情報が別な感覚と結びついた場合、その情報は記憶に強烈に粘る。

相変わらず自分は脳をうまく使えていない。

田町で行われた仮想世界に関するシンポジウムでMySpaceオジー井上さんの話をききながら全然違うことを考えていた。

その後のスプリュームの人の話は強烈な眠気で最初の10分以降は記憶にない。つまり眠っていた。

日本技芸の人のプレゼンはなんだか焦って説明しているようにきこえた。
最後まで聴かずに帰った。

そのおかげで坂根先生にお会いすることができた。

人生とはわからないものである。

雑文万歳。

表題の「888」には意味がある。
おとといの夜、イヌイビルの1Fのセブンイレブンで買い物をした。
渡されたレシートの金額が「888円」であった。

無意識万歳。

沖縄にいく前の日に同じセブンイレブンで買い物をするとレシートには「777円」と印字されていた。

偶然万歳。

この世界は面白い。

電車の行き帰りに本田宗一郎氏の自伝を読んだ。
後半、セナの話がでてきた。

セナとホンダは最高のタッグであったのだが、ホンダがF1から撤退してすぐセナは事故で亡くなった。34歳だった。

知らないうちにセナよりも長生きしていた。
恩師の江藤先生に言われたようにどうにか今年も「生き残った」。

人間は基本的に孤独な生物だと思う。
社会をつくりコミュニケートし、通じ合う瞬間もあるが本質は個である。
だから、簡単なことで結束は崩壊するし、調和も乱れる。
大概の場合、秩序やカタチの消滅はどうでもいいやりとりに起因する。

我々が言語を使い続ける限り、ディスコミュニケーションの悪夢は回避不可能である。

時の流れの中で記憶は風化していく。
記憶と共に重要度は希薄化する。
これ以上大事なことはない、と思っていることは幻想である。

それでも人は理解し、理解されることを夢見る。
これもまた宿命なのかもしれない。

コミュニケーションは儚く、哀しい。
しかし、喜びもまた儚いものである。

人と人が理解しあえたなら。
いつもそれだけを考える。

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