スカイダイビングは6年前

6年前。

2001年の12月26日に僕はスカイダイビングを決行した。
地上4000メートルからのダイブであった。
気温はマイナス20度。
地表までの到達時間はおよそ15分。

爽快というよりも「戦闘」に近い印象であった。
あれは決してレクリエーションではない。
命がかかる場合、それは例外なく「非日常」である。

あれから6年がたつ。
ということは、ムラシマさんにユカちゃんをキチンと紹介してから6年である。
(実はそれよりも前に紹介していたのだが実質はその日が初めてといっていいだろう)

その前の週、僕はひとりで飛ぼうと思って飛行機をチャーターした。
ムラシマさんはHPに乗せていた僕の飛行予告をみつけ、いきなり追加予約をいれていた。

その日のジャーナルを引用しよう。

jump
2001年 12月 25日 (火) 23:51:31

◆明日、ジャンプ

いよいよ明日はドロップゾーンへジャンプだ。
昨日、電話があって村島さんも緊急参戦するとのことだった。
面白い。
村島さんと二人で4000メートルからのダイブとは予想しなかった。

空はいい感じに曇っている。
それでも明日は飛行機は飛ぶそうで、11時に埼玉のドロップゾーンに集合だ。

ライトビールを飲みながら書き始めた。
今年も残すところあと6日。
実家に帰ってもいいが、そんな場合じゃないよな、という気もする。元旦にひとりこの部屋でプランニング、というのが一番面白い ような気がする。

動いてもいいが、元旦はあの脳の疼きで迎えたい。

この日を境に彼の人生が変わるとは思いもしなかった。
それは本人も同じであったと思う。

そういえば、これまでの人生における大事な出来事やイベントに際して自分は全く決断をしてこなかったように思う。

例えばオレとヤマケンは数年前に何故か二人で沖縄にいったのだが何がどうなって二人で沖縄にいくことになったのか全く覚えていない。
が、二人で沖縄に出かけたのである。
おそらく自分は「選択」をしてない。
そしてこの時の沖縄の旅が我々の人生にものすごく大きく関わってくることになる。

自分は思うのだが物事は前後10年位の誤差はあってもあるべきカタチに収斂するのではないだろうか。

学生時代には話したこともないオレとヤマケンがいまは親友付き合いをしているのはどう考えても不思議である。いまこうであるなら学生時代に知り合っていても同じように付き合っていたのではないか?

シンノスケにしても学生時代に同じクラスだったのに一緒に飲みにいくこともなかった。
それが10年後に再び出会い、この5年は記憶が飛ぶまで飲んだりもする。

不思議である。

直感的なものだが生き残ることさえできていれば「会うべき人に会い」「伝わるべき情報が伝わる」タイミングがある程度の周期で訪れる。しかし、起きるべくして起きることの多くはどんなに足掻いてもダメで、なるようにしかならない。

これも生きていればこそなのだろう。

俄の本質は「生き残る」ことにある。

打算には非日常的なパワーが決定的に欠けている。

考えない。
なるようになる。
それでいてドライブ感をつくる。

そう思う。

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