否定する人々

と仰々しいタイトルだがたいした話ではない。

否定ということについて考えてみたのだが、他者を否定することで安定を得ようとするのは一般的な行動なのだろう。

しかし、自分には理解できない部分もある。
例えば匿名による「否定」。
これは何も生み出さない。

単なる言い負かし合いには意味はない。
時間の無駄である。
そんなことをしている暇があったら、飲みながら話すか、マンガでも読む方がよほど充実した時間を過ごせる。

すべてにあてはまるとは言わないが「否定」とは多くの場合、個人の「偏執性」のあらわれだ。
偏執性は往々にして議論を細部へと誘う。
こうした議論は多くの場合、不毛である。