ライフストリームとqikの面白さ
ライフストリームは生活を淡々と(時々、面白く)オンラインに発信する情報発信方法だ。これといった事件が起きるわけでもないのだが接触頻度が上がるため少しづつコンテンツ依存度が高まっていく。
骨太な記事や論考の方が情報的な価値は高いのかもしれないが、意外に中身のないライフストリームだと観る・読む側の負荷が少なく「習慣化」しやすいためコンテンツとしては面白かったりする。
プレゼンの先生がこんなことをいっていた
「誰でも話をしている時は面白い。お酒を飲んでその人の話を聞けば面白いし楽しい。しかし、プレゼンとなるとどうしようもなくつまらない。何故か?プレゼンの最高のコンテンツは”あなた”なのに、プレゼンでは”あなた”というコンテンツがあらわれていないからである」
この話をを聞いた時は「なるほど」と思った。
確かに話をしている分には面白いのにプレゼンになるとつまらない場合がある。本来どんな人もその人の「今」というコンテクストをコンテンツとして持っていて、これをうまく使えれば面白いコンテンツへと変換できる、のかもしれない。
ライフストリームの場合、発信者の普段の生活を眺めることが習慣化していき、「読む・観る」というよりも自分も参加しているような気分になってくる。ブラウザ上でみている情報が発信された時間と読んでいる自分の時間のタイムラグが少ないこともそのように感じさせる一因だと思う。
しかし、この方法(リアルタイムに近い情報発信)は創作や論考をより面白くするかといえばそんなことはないわけでなんでもかんでもリアルタイムのライフストリーム化させることがプラスに働くわけではない。
僕は結構オンライン上の骨太なテキストを読むのが好きで、もし時間が許すのであれば世界中の論考を読みあさりたいとさえ思う。そんなわけで、毎日、結構な量のテキストをオンラインで読んでいるがそれぞれのボリュームは多くても2000字程度だ。
ひとつのテキストが8000字を超えていたら、面白いそう、読みたいな、と思うのだが読み込むのに負荷がかかるためブックマークしてその場では負荷を回避しようとしてしまう。
Youtubeが出てきて要約された映像の視聴に慣れてしまったため、長時間の映像を観ることも回避する傾向にある。
qikでは更にそれが加速された気がする。
現行、qikでストリームされている動画コンテンツは基本的につまらない。(僕のもね)
しかし、これがリアルタイムのライフストリームとして「アーカイブ」されていくと途中で意味が変質する、と僕は思っている。
ウェブのコンテンツの場合、ある時点での面白さとそれが「アーカイブ」されたときの面白さは違ったりするから面白い。
追伸:このエントリーを読み返してみるとわかりづらいのでqikでコメントを追加してみました。