「どうぶつの森」についての雑感

200万本という数字に「マジかよ?!」と思ったのとNintendo
Wi-Fiに対応しているソフトをやってみたかったので導入した「どうぶつの森」だが結局、総プレイ時間は10時間に満たない。

カワイイとは思うし、応用したらどう面白く使えそうかというイメージは膨らむがいうほど面白いとは感じない。

これは僕に関しての話だが基本的にゲームはやらなくなった。

やったらやったで面白いと思うタイトルもあるのだがどうも渇望感が薄いのである。

単純にそうだとは言えないが僕の場合は理由は明確だ。

ネットの方が面白いと感じているからである。

ネット上の文字情報や映像情報にくらべると単体ではゲームタイトルの映像はすさまじいし、
テキストを含むストーリーやコンテンツのバランスなど素晴らしい。にもかかわらず、僕は2時間以上はゲームをやれなくなってしまっている。

「リアルタイムに動いている」という質感の有無は原因のひとつだと思う。

「どうぶつの森」をやっていて思ったのはネットにつながっているのだったら、常時何かしらの出来事が自動的に舞い込んでくるとか、
ゲーム世界の事象やオブジェクトがネットそのものになっていたらいいのにな、ということである。

これは僕の希望だけれど、世界が絶えず動いていて欲しいのだ。

Wi-Fiであるていどはできているのだと思うけれどもっとオープンになってたらいいと思う。
制御が難しくなることで混沌化するかもしれないし、問題も起きるかもしれない。が、
それが些細な問題に思えるくらいのダイナミズムが欲しいのだ。

例えば、突然、村の川に恐竜が現れたっていいじゃない。

村人が消滅したっていいじゃない。

そういうわけのわからなさが無限にチェーンしていく感覚的なドライブ感が欲しいのである。
そしてネットの面白さってこのチェーンしていく部分だと思う。いまもこうして書いているが他のサイトをみた途端、
そこからどんどんわけのわからない情報につながり終わりのない連鎖にまきこまれる。村上龍の「ライン」
という小説みたいにあっちもこっちもシームレスにつながってしまいどこまでも終わらない。ネットサーフィンとも違う感覚である。
ネットサーフィンにはサーフィンをしたいという目的はあるわけだがもっとこう生物的な何かをやっているような、そんな感覚である。

しかし、こうした僕の感想も「印象的なものいい」という一言で片づけられてしまうのだろう。

僕は印象でものをいうのはそんなに悪いことだとは思わないのだが、ガイ・
カワサキの本に書いてあった様々な偉業やら企業の軌跡の事例をみていたら、直感もロジックもどっちもどっちだと思った。

正しいと思われたことも数年で崩れていく場合もあるというのが現実世界であり、そういう時もあるんだよな、
くらいの幅を持って物事に対峙した方が何をやるんでも面白くやれるというのが僕の考えだ。

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