Google考 Google Baseについて15秒考えてみる、あと創造性とか美とか不存在の価値とか

話題の

Google
Base

β版が公開された。

奇しくも昨日、某企画関連で動的なクレイグスリストの可能性について考えていたところだった。

Help the world find your
content. 
 

というコピーにもあるが、世界や人々、社会は常に才能を探している。才能は常に求められている。ただし、
そのマッチングができていないだけで、才能、クリエイティブをベストにマッチングさせることができたら、
関係性のオプティマイズは進んでいき、物事はうまくかみ合い出し、連鎖し、創発性も加速される。

というのは仮説ではあるけれど本質はそのくらいシンプルなのだと思う。

Google Baseに話を戻すとクリエイティブに関しては

「創り出したもの」

や

「創りだすという行為」

が全てで、その人がどこに住んでいるかという部分の持つ価値は小さくなってきている。
(文脈的に価値を付加するタイプの創作物や行為は別だが)

ホントのところ、世界に遍在する才能間のドライブが最大化するように効果的にマッチングされていったら、どうなるのだろう。

まだイメージがわかないけれど才能やら創作ブツやらビジネスやらいろいろみんなひっくるめて大本は

「コミュニケーション」

の問題なのだろう、とは見当がつく。

ここに手をつけた企業、組織、個人、集団、場はネットでも実世界でも台頭してきているように思う。面白い限りだ。
再び見えない世界が立ち現れ、人の心はそこに向かっている。

怒りでも悦びでも発端となっているのはそこに存在する「モノ」や「何か」
ではなく見えない関係性である場合が大きいのではないだろうか。

例えば人の話が気になる場合(不快でも快でも)我々が気を取られるのは音の質かもしれないし、
音が指し示す言葉から想起されるイメージや内容かもしれない。そこに定位出来ない何かがより強く我々に訴えかけてくる、
ように思えて仕方がない。

簡単にいってしまうと

「見えるモノ(在るモノ)よりも見えないモノ(存在しないモノ)
に価値がシフトしてきている」

ということをいいたかったのだけれど、上記の言説はいろいろなところで言われているのでいまいちパっとしないなあ、と。実際、
見えないモノの価値が高いのはいまにはじまったことではないだろうし。

例えば(これも話をよりこんがらがらせそうだが)「美」については

「普遍的で絶対的な美というものがあるのだ」

という立場をとる人もいれば

「いや、そんなものはない。美を感じるかどうかは記憶や認識など後天的な要素のよる」

という立場の人もいる。

その両方が場合場合によって当てはまることもあれば違う場合もある。それぞれがミックスされ、
総体としてどちらの割合が強いかが違うだけなんじゃないかと思う。

同じ時代に同じ空気と時間の中で生きているという共通性によって、ある程度の認識の普遍性はあると思うのだ。
人類とかそういう枠でみた場合でも。

いかん、話がそれてしまった。

「存在するモノ」と
「存在しないモノ」
について考察していたのだった。

「見えているものは見えていないもの」

というのが僕の考えである。
そこにある何かを見たり聞いたりしているときそれはそこにあるように思っているけれどホントは「ソコ」は引き金で感じているのは同時に「ココ」
にある
ものだと思う。

人が惹かれたり、グっと感じたり、グラっと来たりする対象はソコにある単独の何かではなくて、
そこにある何かを起点とし同時にココに立ち現れる存在していないモノだと僕は思う。

この境界がだんだんと外側ににじみ出していて、曖昧になってきているのかなあ、と。

何かをするときに「フィーリングで選ぶ」とか「感覚的に」という言い方をする。
「考えて選ぶと大抵うまくいかない」
と対比して使われるがそれってイメージのコピーによる劣化だと思うのだ。
未来をイメージして選択を試みるがそこで使われるイメージの輪郭がぼけているから、そこから想起されるモノの輪郭もぼやけていく。

なので完璧にシミュレートできるイメージ能力があればそれは感覚的と同意なのだと思う。意思決定の問題は面白く、
全ての解決を感覚に託すのは安易だし、俄的なアプローチが常時有効なわけではない。

自然そのものが「パラレル」だとすれば、
我々もAであり同時にBであることの方が自然なのではないだろうか。

量åã‚³ãƒ³ãƒ”ュータとは何か 

量子コンピュータとは何か

(この本を読むまで量子コンピュータについて完全に誤解していました。
量子コンピュータは概念そのものが既存のコンピュータとは違います。高速な演算をするという考え方ではないんですね。
現在我々が使っているコンピュータは素子を量子レベルまでもっていった時点で高速化の限界点がきてしまいます。
量子コンピュータって最初はそういう高速なコンピュータのことだと思ってたんですが全く違いました。
世界の根本とか知性とか創造性とかそういう部分にまで絡んでくる話です)

この投稿へのコメント

  1. たこせんべ said on 2005年11月21日 at 9:30 PM

    このサイト気に入ったので、僕のサイトのリンクにはらせてもらったも良いですか。
    一回書く場所を間違えました。(かなり古い記事にコメントしてしまった)

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