アウトレット雑感
昨日は久しぶりにアウトレットモールを訪問してみた。
関東近郊には僕が知っているだけで3つのアウトレットモールがある。
僕がいったことがあるのは「南大沢・ラフェット多摩」
「横浜ベイサイドマリーナ」
「ガーデンウォ〜ク幕張」の3つだ。
どこのモールも同じくらいの規模、同じような雰囲気だったように思う。
一昔前の百貨店がどこも似たり寄ったりだったのと同じようなイメージである。
僕はわりかし多くいろいろな商業施設を訪問するのだけれど、買い物を楽しむ目的でそこを訪れるということはあまりない。
興味があるのは場所と人の関係性である。
昨日訪れたラフェット多摩の場合、(これは商品自体の価値とは関係ないけれど)店舗によっては野暮ったく見えるものが幾つかあった。
独自のセンスで飾り付けているのだとは思うが、どうしても、地方の百貨店のようなデコレーションに見えてしまう。洗練されていないのである。
同じ商品でもデコレーションを変えただけで随分売れ行きが変わるのだろうな、と素人ながらに思った。また、同じ商品を購入するにしても、
より楽しんで買い物ができる環境であれば、価格差があってもそちらを選択する人もいるだろうと思う。その場合の価格差は「サービス」「環境」
「体験」への対価ということになるのだろう。
僕は店舗経営をやったことがないのでなんとも言えないが、購買という体験に「楽しむ」という付加価値を加えていかないと「買う」
という体験が「満足」や「悦び」から遠ざかってしまうように思った。
値段しかみなくなってしまうのもあまり楽しくない世界だ。
「髪を切る」という目的だけみれば1000円の床屋も10000円の美容室も同じだけれど、満足度は随分違ったりする。
10年くらい前にはじめて床屋ではなく美容室で髪を切ったのだけれど、店に入った時の雰囲気から流れ、対応、その他、
床屋と美容室では全然違うなあと思った。
美容室の方がコンサルティング的なのだ。
その手間は値段に反映されているのだがそれが十分に満足のいくものであれば顧客はそこに対価を払うことを惜しまない。
目に見えないものの価値が高まっているのだ。
ショッピングモールの場合も「値段」を前面に出した展開ではなく、体験を商品化し、価格と満足とのバランスがとれた「サービス」
として場を再構成したら購買行為はエンターテイメントへと転換できる。
こうした方向の模索が必要であり、同一商品であってもパーソナライズ化された多様な購買プロセスチャンネル(テーマパークに例えるならばアトラクション)
によって販売されることで、より高い顧客満足を提供できると確信した。
対象・商品の魅力は過程(プロセス)によって増大するし、減少もする。
どんなに良い商品でもプロセスがダメならゴミ同然の印象しか与えない。例えば、
それまで大好きだったものでも嫌いな人が愛用していたらその瞬間から印象が変わってしまうという経験がないだろうか?
モノと人の間はより関係論的な間柄へと変化しており、
この傾向はどんどん強まっていくだろう。
本質への回帰といったらいいのだろうか。
人は気持ちの生き物なのだな、と改めて思った。
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