春な日和な午後と世界と人と想像と音楽と空と
週末とはうってかわって今日は春先のような陽気であった。
外に出ると気温の違いが肌で感じられた。
日曜、月曜と体調がかんばしくなかったのだが復活した。
午前中、母から電話があった。
父と一緒に四国にいるとのことであった。
妹も頑張っているようだ。
お昼過ぎ、気分転換にいつものロードワークに出た。
走りながら梅田望夫氏を招いてのブロガー座談会のポッドキャストを聴いた。
聴き始めて5分くらいで気持ちが悪くなった。
聴くのを止めてしまった。
失礼な言い方だが司会の方の声が生理的に苦手なタイプの声で聴いていると頭がガンガンしてきた。
パネラーの3方の声も通りが悪い。
梅田さんは声優としてもやっていけるくらい「イイ声」なだけにクッキリとした対比になってしまっている。
スゴク残念だ。
司会の方の声が滑舌悪すぎなのである。
パネラーの各位は著名なブログを運営している人たちだ。
文章を読む分には面白いのだが音声コンテンツとしてリアル側にきてしまうと…。
言葉以上に声はその人の持つ何かを強く現してしまう。
声質というのは内容以上に重要なのだと思った。
余談だがパネラーの方に「R30」という人がいた。R30というのはこの方のハンドルネーム(ネット上でのペンネーム)だ。この方が
「えー、R30です」と自己紹介した。笑うよりもイタクて聴いていられなかった。どんなにしっかりした文章を書いていても自己紹介の
「R30です」の一言で全てぶちこわしである。テレ隠しなんだろうけどあれじゃ「お前はロボットか?」と思わずにはいられない。
ポッドキャストを止めて音楽を聴きながら走った。
リバーシティの50階まである方の大きなタワーの前でオジサンが鳥に餌を与えていた。
時々こうしたオジサンを見かける。
良いとも悪いとも思わないが痛々しかった。
リバーシティ角の川が交差するあたりを折り返し、ピアウェストスクウェアの前を通り抜ける。
空には雲もなく晴れている。
昨日キッペイと話をしたせいか沖縄の海を思った。
この後、海を眺めながら仲間とオリオンでも飲みたいなと思った。
カバンをたすきにかけたオジサンがキツイ顔で通り過ぎていく。
穏やかだ。
昨日、ブログでもちょっとだけ触れた「Cocco」の「あなたへの月」が流れ始めた。
iPod Shuffleを使っているのでどんな曲が入っていて、どんなタイミングで流れてくるのかは運まかせである。
予期せぬタイミングで予期せぬこと起きるとそこに偶然性以上の何かがあるような気がして妙に昂揚してしまう。
沖縄を思ったら沖縄な曲が流れてくる。
こういうことが時々ある。
意味もなく気分が良くなっていくのがわかる。
周りの景色も違ってみえる。
通りすがる人々も別人にみえる。
おそらく世界とはこういうものであろう。
自分がどのように関わるかでいかようにも意味が変容する。
変わるのは世界ではなく自分なのだろう。
仮に、の話だが、世界中の人々が1秒とか2秒といった短い時間でいいから同時に同じタイミングで
「ああなんか気分がいいぞ」
と感じるような時間を共有できたなら、そのフィーリングがたとえ僅かでも人々の振る舞いへと反映されるなら、
更にそれがコミュニケーションによって連鎖するなら、反復増幅され前向きなエネルギー、
例えば芸術に限定されない政治を含むあらゆる創造的エネルギー、の起点になるのではないだろうか。
そういう時間があらゆる人に一日に一回あるなら。
と想像した。
おそらく、その程度のことで世界はいかようにも姿を変えるのだ。
帰ってきたらタドからコメントが来ていた。
内田樹さんという方の「原理主義と機能主義」
というエントリーについてのインフォメーションであった。
読んでみてなるほどと思った。
そしてこのエントリーを書いている。
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