KAZUO KAWASAKI ANTHOLOGY:Super Live@スパイラルホール
Life
with photocinemaなどで有名なデジタルステージの平野氏とデザイナーの川崎和男氏のプレゼンテーション・デモイベントに行ってきた。
イベントの詳細はポッドキャストで報告したい。
ブログでレポートを記すのが最良とは思うのだがこれから「書く」ことを想像すると気が滅入る。話すことはできるが「書く」
気分ではない。
ポイントだけ記しておく。
デジタルステージ平野氏、川崎和男氏の両名とも「ネットワーク」な気配が欠けていた。
この点、すごく重要だと思う。
「ウェブ進化論」での梅田氏の言葉を借りると
「ネットのこちら側」
の人という印象を受けた。
デジタルステージが製作しているソフト・
アプリケーションがネットのこちら側であるのだから仕方がないといえばそうなのだが川崎氏風にあえて暴言としていうならばアプリケーションもプレゼンテーションも
「一世代前」
な印象を受けた。勿論、得るものはあったし、ビジュアル・
サウンドの使い方などなど一般的なプレゼンテーションに比べれば遙かに高度ではあった。
が…、内容なのである問題は。
ビジネスセミナーなどが高額の受講料を徴収しているのに比べたら安いといえば安いが、
売り物としての価値は価格に見合っていたかどうか疑問である。
あれがイベントして2000円くらいの入場料で行われたならば、納得もできるがエンターテイメント・
プレゼンテーションという位置付けだと競合はライブやコンサートになるわけで、
一般的なコンサートと同等のエンターテイメント性を提供できていたとは言い難い。
じゃあ、僕はあの場で何を得たのか?
これは書いておこう。
最後の最後で川崎氏が持ち出した「八卦」のアナロジーは興味深いものがあった。あの話は面白かった。
それと生まれて初めてHDサイズのプレゼンテーションを観た。
通常のXGA画面にして3枚分の横長の画面をつかったKeynoteのプレゼンテーションは圧倒的に斬新であった。
HDで写真が表示されることであのようなインパクトがあるとは…。
この二点はあの場にいなければ得ることができなかった情報であり、体験である。
では何が欠けていたのか?
問題はこちらである。
コンピュータに例えるとあそこで行われていたイベントはローカルのハードディスクの中で動いているアプリケーションのようなものである。
世界は「そこ」で閉じている。どうしてこういう印象を持ってしまったのか不思議だがおそらくこういうことだ。
彼らがあの場で行った「未来のプレゼンテーション」は豪華ではあったが枠組みはイノベーティブではない。
ビジュアルの使い方などサザンのコンサートの方が遙かに完成度が高い。
未来のプレゼンテーションとはおそらくあれではない。
欠けているのは不確定性を内包した「ダイナミズム」である。
この要素が決定的に欠けていた。
用意されているKeynoteやムービーを使ってメッセージを伝えていく、というやり方はパッケージソフトの延長でしかない。
しかし、未来はそこにはない。
コミュニケーション要素を多分に取り込んだ不確定性をベースとした非可逆な「場」。
それが未来のプレゼンテーションのカタチだと僕は思う。
一昨年末にカネコと参加した石井先生のプレゼンテーションの方が遙かに「未来」であった。
ビジュアルやサウンドなどは比較にならないがコンセプトが全く違うのだ。
東京海上でみせていただいたプレゼンテーションのデモには確かに「未来」があった。(もう2年も前のことだけれどね)
昨夜のスパイラルでのイベントは高度で完成はされていたが「未来」はなかった。
ここで僕は二者の違いを認識している。
この「違うという情報」こそが価値なのだと思う。
そういう意味では相対化の対象として昨夜のプレゼンにも大きな意味があった、と言えるのだろうな。