ほめるについてのある視点 糸井重里氏の場合

昨夜、やまけんが糸井さんとこにいってきたといってたので久々に「ほぼ日刊イトイ新聞」をながめる。

ダーリンコラムは好きだったのでぱらぱらとみていると

<ほめるとなぜ伸びるのか?>

というエントリーがあった。(イトイ新聞の場合はエントリーとは呼ばないと思うが)

読んでみて納得、相変わらず糸井さん、例え話がべらぼうにうまい。

大事なのは誰にでもシーン(ビジョン)が想起できるようなこうしたイトイスタイルの説明方法なのである。

糸井さんの場合は天性のものなんだろうけれど、誰だって訓練すればこの手の変形共感覚みたいな表現を磨くことはできる。なんでもそうだけれど一つの事象、一つの対象、そうしたものを一つの感覚でだけ認識するのではなく、パラレルに存在する別の感覚とリンクさせてマップして認識するとリアリティがx4くらいで増加する。

この共感覚エンジンを使うことで人の可能性はぐっと伸びると思うのである。

食べ物や飲み物にしてもそう。

例えばワインなんかはワインの味と全然違う表現でワインの味をマップしていく。

「若い」とか「重い」とか「森の○○」とかそれらの言語とワイン自体の味は直接はリンクしていないのだが、表現によって脳内に想起されるイメージとワインの味わいをリンクさせて体験としてマップしてあげることで認識のレンジが広がり精度が増す。こうした認識のブースト機能を僕は共感覚エンジンと呼びたい。

リアリティをブーストさせる技術であり能力としての共感覚に着眼して情報世界をナビゲートする情報具をつくりたいと僕は考えている。

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