拘束と俄とばからしさ

どれもこれもたいしたことではないのだが。

うーん、極めてばからしい。
対して「俄」とはなんとよい言葉か。
生きてること自体が俄みたいなものだと思う。

世の中のほとんどはやっぱりどっぷりコミュニケーションと物理的な拘束から発生する人の限界点みたいなものを勝手につくりだしてしまいがちな脳のソフトだな、と。

繰り返しになるが「どれもこれもたいしたことではない」で本質に近いものと遠いものがあり、ほとんどの人な思惑は本質とかかけ離れている。

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