「ネットvs.リアルの衝突」(佐々木俊尚)読了 そしてiTMSに対する考察と「Sukiyaki」の偶然に思うこと

ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか

この人の本、政治よりというか事件記者な雰囲気が強い。ネットで読む分には面白いが書籍で読むとネットとの乖離を感じた。

土曜の夜から思索している。午前4時を過ぎるとようやく脳のモードが切り替わる。朝が近づく時間にむけて思索を続けると少しづつ空気がそれっぽくなっていくのは全世界共通だろうか。
本格的にプランニングの脳が動き出すまでにはもう少し時間がかかりそうだ。

昨夜、国内の主立った音楽配信サービスで楽曲を購入してみた。
いまさら何をやっているんだ、という気もしたが意外にも主要なダウンロードサービスを総当たりで利用した経験を持つ人は少ないのではないだろうか。使ってみて改めてiTMSのできの良さに驚いた。

機能的には他のサービスの方がiTMSよりも高性能であった。しかし根本部分の思想と戦略性は圧倒的にiTMSが上であると思った。僕が感じた最大の違いはiTMSの思いっきりの良さである。よくもまあこれだけ大胆な「切り捨て」をやってのけたものだ、といまさらながらに感心した。

そして問題点も見えてきた。詳細は避けるが

「どれだけ視聴できる音楽やビデオを大量に持っていて、それをいかにして楽しめるかという仕組みでウォークマンを凌駕していた。そうしたデータベース的な付加価値があるから、同業他社の同じような性能の端末よりもiPodは高く買ってもらえた。いまやそういう時代である」(情報経済企画調査官・八尋俊英)

この一文がヒントになった。
ところでこのエントリーは日本初のサブスクリプション(聴き放題)音楽サービスである「Napster」をWindowsマシンで再生させ、それをAirFoilでAirTunes経由でBoseのCompanion2に飛ばして音楽を再生しながら書いている。

流れているのは驚いたことに

「Sukiyaki/Bobby Caldwell」

なんと坂本九の名曲のカバーである。これもひとつの出会いであろう。しかし、自分がいま感じているこの「出会い」の持つ価値はこの曲には反映されず消えていってしまう。そこで自分は考える。

この世界にはいま自分が感じているのと同じような「出会い」とそこに付随する情報価値が存在し、それはあらゆる曲に対して存在するのではないか。

ある曲がある時空である誰かと「出会う」ことによって生じる情報は無価値ではない。
我々が注目すべきはこの「出会い」の情報をいかにダイナミズムへと導き顕在化するかであると自分は考える。

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