ナラティブの誘惑

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松岡正剛氏の話に「ナラティブ」という言葉がよくでてくる。

人はナラティブに反応してしまう。
「戦」というナラティブは常に人を引きつける。
また「感動」というナラティブも人を引きつける。

感覚的な言い方になるが「盛り上がり」とは、すれ違って、逆転するダイナミズムに見える。
予測可能な展開は物語としての面白みに欠ける。
すれ違い、転じていくダイナミズムに人は反応してしまうんじゃないだろうか。

組織にはこうしたナラティブをガバナンスに利用しようとする組織的DNAなノリがあるように思う。
意図的ではないにしてもどんな仕事にも単位毎にドラマがある。(本来はないのかもしれないが組織体は出来事を編集しドラマ化してしまう)

声を荒げての議論とか罵倒合戦とか激論など舞台はいろいろあるのだがそれらはモードであって伝達されるべき情報の本質ではない、はずなのだがモード自体が情報であるような印象を受けることも多い。このあたり、すごく不思議で面白い。組織での個々人の行動は客観的にみるとRPGにさえ見える。が、当事者である場合はその視点を持つことは難しい。ここに高次の視点を持ち込みバランスすることができたならば人の世界の最適化は進むだろうか。

自分自身を客観視するスカウンターは個人の能力をドライブさせる上ですごく面白い道具になると思うのだけれどそのフォーマットってどんな形なんだろうか。

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