一瀬隆重氏@スパイラルホール ヒミツはファイナンスから来るダイナミズムの有無にあった!これもやっぱり情報の最適化の問題である。
昨日に引き続き、今日も「劇的3時間SHOW」を聴講するためスパイラルホールにいってきた。
今日の主役は一瀬隆重氏。
数年前に六本木ヒルズの映画関連のイベントでお話を聞いてからファンだったのだがその後、「THE JUON -呪怨」の大ヒットで時の人になってしまった。
会場には映画関係の仕事に従事していると思われる人が多い。
明らかにネット系とも音楽系とも広告系とも出版系とも違う空気が漂っているのが不思議である。
映画という作品は派手だが映画業界そのものは地味な印象を受ける。
何がそういう印象を与えているのか考えてみた。
集団としての内輪感のような空気がそう感じさせるのだと思った。
ありがちではあるが日本ではこうした集いにおいては既知の事実の確認を世間話として行うというのが業界の常としてあるようで人生自体がインデペンデントな自分のような存在はどうにもとけ込むのが難しい。いや、不可能といった方がいいだろうか。
どんな小さな組織でもそうだがあの内輪感は苦手である。
情報の最適化を阻害する最たるものである。
そうこうするうちにイベントがスタートした。
一瀬氏の関わった作品のデモリールの上映が先行し、その後、一瀬氏が登場する。
これはどうでもいいことだがイベントの主催側のカメラがド素人で話にならない。
一瀬氏が香港の映画人に
「どうしてそんなに必死に身体はって映画つくるの?」
とたずねると
「ン???観客に喜んでもらいたいからだよ。違うの?」
と言われガーンと来たという話をしていたが、この話、会場にいた君らも聴いていたハズだろ?
イベントに来ている観客の邪魔になってどうするのだ?
それにしても、一瀬氏、相変わらずいい柄のシャツでの登場であった。
思わずシャッターをきった。
しかし、会場では自分以外に写真を撮っている人はいないな。
一瀬氏、本当に故ブラック・キャット氏に似ている。
話の前半は「“ハリウッドで勝て! (新潮新書)” (一瀬 隆重)」の内容をそのままなぞる感じで目新しさはない。
地下鉄で再読しながらいったため内容はほぼダブってしまった。
ところが中盤から一瀬節が爆発しはじめた。
日本の映画業界の置かれている苦境についての解説になるとかなりの毒舌であった。
これが気持ちいいのだが。
いまさら説明するまでもないが日本は邦画バブルにあると言われている。
理由は簡単でヒットする作品を手堅くつくっているからである。
問題はヒットの構造にある。
ヒットした原作の映画化、ヒットしたドラマの映画化、TVとのタイアップなどなど。
制作委員会方式によって商社・広告代理店・放送局などががっちりとタッグを組み、それぞれの得意分野で作品をこれでもかと宣伝しまくる。この構造にによって作品のクオリティとは関係なくマーケティングパワーによってある程度のヒットをつくりうる環境ができあがる。
この構造を利用して、各社はガンガンに稼ぐ。
しかしこの利益は組織に還元され映画業界には還元されない。
そのため映画人(業界の人はそう呼ばれる)は疲弊していく。
更にこの手の作品(お気楽なヒット作)の頻発による刈り取りは観客をも疲弊させる。
このあたりの構造、株式市場と似ている印象をうける。
一瀬氏曰く、放送局はあれだけ儲けたんだからその利潤を映画界の発展に張るべきだ、となるのだが残念ながら日本ではそうならない。
これはネット業界も似ていて、ジョーイ氏が言ってたのだが、日本の場合、一度偉くなるとずっとエライので、頭が良い人ほどリスクが馬鹿げていることに気づくから張るのを止めてしまう。なので日本ではキャッシュフローを生まないようなスタートアップなサービスへの投資はほとんど行われない。だから革新的なサービスが日本からは生まれない。ヒューマンキャピタルの問題ではなく、構造的な問題なのだそうである。
なるほど映画業界も状況は似ているようだ。
日本ではインデペンデントが成立しにくいのだろう。
もちろんどの業界にも成功している人はいるがごく少数に限られ、大多数は組織型が幅をきかせる。
考えてみればネット業界もそんなだな、と思う。
Yahoo!Japan!にインデペンデントで真っ向勝負をしようとするところなど皆無だ。
Livedoorがもう2年頑張って、個人サービスの積極的な買収を続けていたら、インデペンデントなチーム対して、バイアウトの道が開け、そこからは針の穴を抜けるサービスが出ていたかもしれない。
ダイナミズムを生み出す源流は個人の志にあるだろうが構造を含めた環境が伴って初めて志も活きるというものだろう。
話がそれた。
下記、一瀬氏の家の写真である。
見れば分かるが豪邸である。
(上記はプールハウス)
ハリウッドでも著名な邸宅でとのことである。
この家を購入できる財力を有する日本の映画監督は少ないが一瀬氏はこの家を所有できた。
違いはどこにあるのか?
邦画でもヒットしている作品はあるのに何故監督は潤わないのか?
ヒミツはファイナンスを含むビジネスの構造と契約方式にある。
詳しくは「“ビッグ・ピクチャー―ハリウッドを動かす金と権力の新論理” (エドワード・J. エプスタイン)」などハリウッドの映画システムについて詳しく書かれている本を読んで欲しいが簡単にいうと、プリセールスを担保としレバレッジを効かせたファイナンスを行うことで、自己資本を用意しなくても、当たったらリターンもデカイ。もちろんハズれるとゼロだが自己資本ではないので死ぬ必要はない。「ナイストライ!」で次作にのぞめばいい。
こうしたファイナンシングとクリエイティブとの連係プレーといったらいいのだろうか、いい意味での最適化が進んでいることでダイナミズムが発生し、活気が生まれ、作品が誕生する土壌ができていく。
日本にはこの土壌がなくて、小作農よろしく、領主総取りで土壌の整備は後手にまわっている。
一瀬氏によれば、
映画監督のギャラはトップ中のトップで2000万円程度。
日本のトップクラスの撮影監督でも100〜120万円程度。
だそうである。あれだけ収益があってもこの還元率とは酷い話である。
いまはまだ国内に預貯金が残っているからいいがこれが減っていけば国内市場をターゲットとした作品のマーケットは縮小せざる得ないため、産業としては先細りとならざる得ない。
一瀬氏はここに警鐘を鳴らしてるわけだがこの構造そのものがドラマ的というか「組織vs個人」という古典的な物語構造になっていて、そこに人は惹きつけられる。が、一瀬氏の面白いところはこうした「熱さ」と実利的な感覚がしっかりとバランスしているところだ。
このあたりの感覚が本人曰く、日本では浮いていた、理由なのかもしれない。
僕にとって昨夜の最大の収穫は契約時の利率について具体的な数字を知ることができた点である。
ネット、グロスについては前述の「ビッグピクチャー」に詳しいので省くとして、インデペンデントで全体利益の30%、メジャーで20%がプロデュース報酬とのことである。
こうした数値は知らなかった。
また、UTAのエージェントフィーについても言及があり、プロデューサーのギャラの10%がエージェントフィーとのことであった。
他、キーワードを列挙しておく。
・リングのリメイク権は100万ドル。しかしリング自体は200億円を稼いだ。
・コンピュリーションボンド(これの存在などまさに産業だ!ネット業界にもコンプリーションボンドが欲しいヨ)
・プリセールスによるファイナンス(これはイメージできる。映画に限らずビジョンでファイナンスする感覚)
・グラッジの制作費は10億円。でもプリセールスで20億円とってきたから担保はOK。(サムライミすごいわ)
・ユニオン、スト、労働時間
・カバレッジショット
・キャメロンはいま「AVATAR」でRealtime 3D Animationをやっている
といったところだろうか。
ずいぶんビジョンが広がった。
僕個人の話をするとネットであれ映画であれTVであれ「作品」をプロデュースするつもりはない。
そうではなく僕が欲しいのは究極のメディア・ネットワークである。
TVは遠からずネットと直面しなければならなくなる。
また、映画もスクリーンが消えることはないが、スクリーンだけが舞台でもなくなる。
ネットとのハイブリッドも増えるだろう。
僕が実現したいのはそうした状況下で情報の最適化を実装したメディア・ネットワークである。
これこそが人の可能性を最大化し、ダイナミズムをつくりだすエンジンになる。
そして熱くブログを書いているが、これから早起きして(といってももう3時30分だが昨夜のK-1について何もまだ書けていない!道中で書くかな)伊勢にいってきます。
追伸:一瀬氏のブログを使ったプレゼンはナイスアイデアである。あの手法は盗ませていただきます!
この投稿へのコメント