「Changemakers forum 2007」で本質思考と情報の複利効果について考えた
昨日、社会起業家のイベントに遊びにいってきた。
驚いたことにかなり多くの人がワンホップでつながっていた。
家に帰ってきてこうしてメモを書いているのだがあとひとつカチっとこない何かにひっかかっている。
タイトルをつけるならば
「コミュニケーションと安藤忠雄」
オレ以外には誰も理解できないキーワードだが自分にはしっくりくる。
うん、そうだ、これだ、と納得がいく。
安藤忠雄がある番組でかなりイカしたコメントをしていた。
5年くらい前のNHKの番組だったと思う。
「まー、僕も東大で教えてるんですが。先生方が、国際化、国際化、いいますよ。しかし、教員をみてみたら、国際化してますか。教員が国際化しないで国際化国際化いったって国際化しませんよ」
というような趣旨のナイスなコメントであった。
文字にすると味気ないが安藤忠雄の声が最高なのである。
昨夜、感じたのもちょっとだけこれに近い感覚で。
会場に集まった200人強の人々はみんな志があって、問題意識も持っている人たちなハズなんだけれど、じゃあ、その人たち同士がネットワークされたのかというとここがすっぽり抜けていて(いや、どの会議もどの集団もすっぽりどころかずっぽりと抜けているのだけれど)、せっかくいい人材が集まっているのにその人材同士のリンクはなぜかダイナミックには進まないのであった。
ステータスとプロフィールがクローズな状態の場なので、これは当たり前といえば当たり前なのだが、僕はすごくもったいないなあと思った。
現に僕自身も、ほんのワンホップのところにいる人たちとコミュケートすることができなかった。
例えば、僕の友人たちが参加していたイベントを主催していたCANVASというNPOがあるこれを立ち上げた方が会場にいたのだが全然気づかなかった。コネクトしたら発展するであろう情報(案件)を僕は持っていたにもかかわらず情報は伝わらなかったわけだ。
もちろん、実はそれこそが最適化だったみたいなオチがあってもタオな感じで面白いのではあるが。(こっちが「本質」に近い、という感覚もあるのだけれど次の2年間は違う可能性を探求してみたい)
このあたりからが自分の本質的なところに入っていく。
自分の井戸の底に近づけば近づくほど感覚はディストーションを志向する。
よってコミュニケーションの間口は狭まる。
この種の感覚は個人的なもので伝達は難しい。
夕日が落ちるときの数十秒は儚く、時間がリアルに消えてしまうことを本能的に知覚され、感覚が呼び覚まされる。この感覚も個人的なものだが。夕日が落ちる瞬間にその時空を共有している場合、言語によらない共感・コミュニケーションは発生しやすくなる。
この種の伝わりやすい「場」みたいなものをつくりだす方法論がありそうな気がするのである。
「ティッピングポイント」でいうところの「コネクター」な空間といったらいいだろうか。場自体に「コネクター要素」として「ステータスの共有環境」をつくことができればコミュニケーションの最適化がなされ、情報のマッチングがドライブし、伝わるべきところに伝わるべき情報が伝わっていく、かもしれない。
こうした環境のプロデュース感覚は自分にもまだまだ欠けているのだが、ここを進展させていくことは情報の持つ潜在能力を大幅に増強される。
キーはなんなのだろう。
おぼろげにストーリーやドラマなのかな、という気もする。
なにもかもメソッド化する必要はないがこと情報の伝達の最適化が損なわれることによって生じるロスは時間効果によって反復増幅される。情報の逆複利効果みたいなものである。
時間効果を加味すると、20年くらいの時間軸で考えた場合、これが驚異的に国力や人間力な側面で効いてくるんじゃないだろうか。情報が有効に伝わる回路・つながりをどれだけ持っているか、メンテナンスできているか、で国力が決まってくるみたいな指標があっても面白い。
この問題は奥が深く、考察していて飽きることがない。
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