2008年元旦の富士山と収斂の法則
あけましておめでとうございます。
加賀谷です。
冒頭の写真は元旦の富士山です。
今年は30日から元旦まで富士山の麓でキャンプにはいっておりました。
この2日は富士宮地域は一番の寒さだったようです。
朝方は氷点下になり、テントの外は辺り一面5cmくらいの霜柱で覆われていました。
しかし、キャンプはいい経験でした。
地面で眠ると地球と対話している感じがします。
元旦の天気は快晴そのもの。
晴れ渡り、見事な逆さ富士を見ながらお正月を迎えることができました。
たき火をしながらみかんを食べ、富士を眺めていると時間がゆっくりと流れていくようです。
このみかん、佐賀から送られきたそうでとても甘く美味しかったです。
みかんを食べると正月を実感するのは日本に生まれたからでしょう。
さて、2008年の心証を書いておきたいと思います。
昨年より感じていたことですがいよいよ
「収斂の法則」
が顕在化し始めると予測しております。
物事、そしてその根源である「情報」は本来それがいくべきところにいく特性を有しております。
しかし、現実世界に目を向けると(仮想世界でもまだですが)情報はいまだ伝わるべきところに伝わってはおりません。
情報の伝播が本来あるべきカタチをなしていないのにはいくつかの理由があります。
「情と報のアンバランス」
これが伝播を阻害するひとつ目の要因です。
情報を解釈する時にバランスが崩れてしまうため根幹にある本質的特性がぼやけてしまいうのです。
これが意思決定に悪影響をおよぼします。
思惑を伴って行われる意思決定はそのおおくが収斂の法則により、修正されます。
迷った時にどうしたらいいかについてたくさんの本にいろいろな考えが書いてあります。
どの本も同じようなことをいっており「どちらをとっても同じ」「決めて駄目だったらそれもまた情報」というようなことが書かれております。
では、右と左どちらかを選ぶと「死」どちらかを選ぶと「生」だった場合はどうでしょう。
これはかなり「迷う」と思うのですが、それでもどちらを選んでも同じなのでしょうか?
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