華麗なる一族とキムタク再発見、そして北大路欣也の存在感が爆発
昨夜から8時間ぶっ続けで「華麗なる一族」を全話視聴した。
ドラマが放映中は一度も観たことがなかったのだが友人のやまのうえ君が薦めてくれたので観ることにした。
終盤、ダレる部分もあるが序盤から中盤にかけての勢いは凄まじいものがある。
戦後の猟奇的な空気(万俵大介の異常な性癖とその父であるケイスケの性癖に関する描写など毒婦物を思わせる演出)と高度成長期の雑多感が微妙に反映され、同時代の出来事にも関わらず異世界感覚満点である。
自分が生まれる直前の日本はこのように混沌としながらもダイナミズムがストレートに実感できた時代であったのだろう。
ドラマ内でも国や組織や社会がガランガランと再構築されていく様は魅力的に演出されている。
そして、この種のダイナミズムは人を引きつける。
いまという時代に生きる人々が求める「リセット感」(大前研一風にいうならばガラガラポン)がドラマ世界に色濃く反映されているように見えた。
昨年、
「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
という論考が話題になった。この論考の終盤に下記のような記述がある。
「そこで当然、「それは本当に、当の若者たちを幸せにするのだろうか? 安直な右傾化は、若者たち自身の首を絞めているだけなのではないのか?」という疑問が提示されることとなる。だが私は、若者たちの右傾化はけっして不可解なことではないと思う。極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う。」
ここで触れられている若年層の「流動化」への志向は「華麗なる一族」というドラマの全編に通底する独特のダイナミズム感覚(勢いとそれに付随する不安定感)と通じるように思う。
ドラマの主人公であるキムタク演じる鉄平は変革を先導するヒーローとして描かれる。
体制に抗するヒーローである彼は志高く、気高く、美しい。
彼が生き残る未来を視聴者は期待する。
しかし、ドラマの最後で彼は自ら死を選ぶ。
死は美として扱われ、潔さを褒める台詞すら用意される。
ここに強い違和感を感じた。
なんのことはない彼は作者によって殺されたのである。
個人が紡ぎだすドラマであるのだからあたりまえのことではあるけれど彼はドラマ世界が自律的につくりだした死ではなく作者という絶対的な存在の強い意図によって殺されたのである。
全編を通じて面白いドラマだった。
8時間の間、僕はエンターテイメント作品としてキムタクと北大路欣也の二人の俳優が作り出す強烈なドラマ世界にどっぷりとはまり、脳は完全に「華麗なる一族モード」で没入していた。
しかし、最後の最後にそれまで陰に隠れていた作者という存在が絶対的な何者かとして突然登場した瞬間、「8時ダヨ全員集合」の寸劇のラストシーンのように舞台が反転し、黒子も俳優も設営スタッフも何もかもがガチャガチャになって雑多な現実世界がたちあらわれ、冗談かと思った。
劇中、キーになるシーンで猪と鯉が象徴として使われる。
しかし、この二つの動物の造形と動作があまりにも子供だましだったことを思い出した。
あの猪と鯉がもっと魅力的であったならあるいは最後のシーンの印象も変わったのかな、と思った。
感想を述べてきて最後にまとめておくとこのドラマで僕はキムタクのファンになった。
素晴らしい存在感である。
が、それを超えて僕に衝撃を与えたのは「北大路欣也世界」のつくりだす異常な空気である。
あの空気をつくりだすことができただけでこのドラマには価値があったと僕は考える。
あんな空気を放つ人が一般社会にヒョと現れたら教祖か異常者である。
北大路欣也なあの空気感、オススメです。
■関連URL
・wikipedia 華麗なる一族
やはりモデルとなった一族、銀行、鉄鋼会社があったようです。
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