iPhoneに関するWiredの素晴らしい記事と素晴らしい抄訳とお家騒動のお国柄

下記、iPhone開発秘話の抄訳である。
b3 annexを愛読していたがいつものように素晴らしい抄訳で感心する。
こうした記事を無料かつブログという形体で読むことができることに幸せを感じる。

iPhone開発秘話 あるいは携帯電話ビジネス革命の始まり

記事を読んで驚いたことがいくつかあった。
ショックを受けたのは次の記述である。

Jobsは初代のiPodを発売してほどなく(2002年ごろ)、ケータイを開発することを考えていたという。

この段階でケータイを視野に入れていたとは。
この経営者としてはのジョブズがかなり長期的なビジョンを持って物事をとらえていたことに素直に驚いた。

話は飛ぶが昨夜、僕は豊洲の漫画喫茶にいた。
自宅での資料の読み込みが続いていたのでモードを変えるのが目的である。

深夜1時の帰り道に昨年末に話たG社を思い返していた。
彼らはキャリアへの折衝の煩雑さについて教えてくれた。
サービス提供者でありながら、何を行うにもキャリア主導でキャリアのお伺いをたてて物事を進めていかなければならない現状は思っていた以上に大変そうであった。

昨夜、考えたのはこんなことだった。
コンテンツ自体はキャリアの枠を飛び越えて世界中で利用される可能性を持っている。
けれど日本のキャリアのパワーは日本の国内でだけ有効な権益である。

似たような構造をどこかでもみたような気がしていたが米国の放送事業も1970年代の法改正により、3大ネットワークが番組著作権を持つことを規制した。これは政府によるハリウッドスタジオの保護政策であった。これによって「放送局(ネットワーク)>制作部門」であった構造が「放送局(ネットワーク)<制作部門」に転換していった。その後、1990年代には制作部門が放送事業を飲み込んでいった。ディズニーはABCを、バイアコムがCBSを取り込んだ。こうした制作部門が主導となるコンテンツ市場の構造変化を確認した後、米政府はハリウッド保護政策を止めている。

上記記事のiPhoneによるアップルの躍進も「キャリア>メーカー」を「キャリア<メーカー」という転換の兆しを感じさせる。(日本の場合、いきなりはかわらないだろうけれどAppleに匹敵するような魅力的な商品を開発できそうな企業、例えば任天堂がケータイをはじめたら破壊的なんじゃないだろうか)

米国のコンテンツ市場の構造変化の事例をみているとコンテンツ、サービスを提供する側は視野を世界に広げれば安全だが窮屈な箱庭ではなく危険だが自由な空間が視野に入ってくる。

話は飛ぶけれど50年後にはパスポートなんてなくなり、IDさえあれば世界中どこにでもいけて、たまたま住んでいるのが日本だとかアメリカだとか、そういう世界になっている可能性もある。

ケータイだって同じだ。
世界を横断する公衆無線LANみたいなコンセプトのケータイキャリアがあってもおかしくはない。

日本国内での需要はすでに頭打ちである。
米国の放送業界で起きた「ネットワーク<制作部門」という構造の変化と同種のパワーバランスの転換を国内のキャリアとコンテンツ提供者との間で起こさなければ将来的な発展のビジョンはみえてこない。

「華麗なる一族」じゃないけれど、日本では武士の世からずっと広い意味でいつもお家騒動ばかりやっているのだなあ、と思った。

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