【今日の言葉】「どんな犠牲を払っても真理を述べねばならぬ」
「出口もなく、回り路もなく、抜け路もない」
アウトサイダーの冒頭にでてくる傍点のつけられた一文を二つ抜粋した。
話は全く変わる。
慶應大学から月島への帰り道、唐突に怒りの感情に包まれた。
これまでにないような怒りの発端がどこにあったのかいまとなっては定かではない。
おそらく理由はない。
怒りの理由がわからないまま。
築地でカフェに入った。
店には人影がまばらである。
ひとりの男が大声でケータイで話をしている。
彼は坊主頭である。
年齢は30代だろう。
細身のスーツだ。
彼は同僚、あるいは後輩と電話で話しているようだ。
相手は近くにいるのだろう店の場所を電話で説明している。
声の大きさは内面の不安を表している。
ぞんざいに振る舞うことで自己のアイデンティティを確立しようとするが彼のつくる音には内面の脆さがみえる。
しばらくして相手があらわれた。
坊主頭の彼とモードを全く同じくする20代の男性とその同僚らしき女性であった。
彼らは会社の同僚である。
ところで店とはパブリックな場所である。
彼らの家でもなければ縄張りでもない。
彼らは何故ぞんざいに振る舞うのであろうか。
毎度毎度、不思議である。
こうした人々は何を思い、何をするためにこの世にあるのだろう。
彼らの世界は閉じている。
彼らに関連する人々で閉じている。
彼らの話に耳を傾けてみた。
会社の話である。
正確には会社の誰かの話である。
これも不思議だが多くの人々は「誰か」の話に人生の時を費やす。
こうした時間は何を生み出すわけではないがつまらないわけでもない。
それが故に多くの人は「誰かの話」に多くの時間を投下する。
話は飛ぶが一つプロットが思い浮かんだ。
ここ数年、国内の商業メディアに蔓延する幸福思想に相克するストーリーである。
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