レボリューショナリーロード 〜ケイト・ウィンスレットのコワさがいい〜
随分前に予告編を観た。
地味そうな映画。
それが第一印象である。
実際に視聴すると「地味」ではあるが非常に面白かった。
登場人物は若く可能性に満ちた夫婦。
地域に埋もれていくことに恐怖といらだちを感じつつも脱することができずにいる妻とそこまでの焦燥はないがかといって野望というほどの希望もない夫。
「家族の崩壊を描いてるいるのに子供がほとんど出てこないのはおかしい」
というコメントをどこかで読んだが確かに子供はほとんどでてこない。
妻はいまの生活を脱するべく「パリ」への移住を提案するが…。
というのが話の大まかな流れである。
「パリ」への移住をトピックスとしてまわりの人間に伝えるがすんなりとは進まない。
しかし現実はどうなのだろう?
スイスイと生きていくことは難しくないのではないか。
運さえあれば。
映画で描かれているまとわりつくような現実感に圧迫されている人はどのくらいいるのだろう。
この夫婦の問題を整理してみよう。
「いまの生活にうんざり、なんかいまいち自分が活きてる感じがしない」
↓
「なのでパリにいっちゃおう」
↓
「でも3人目の子供ができた。でもパリにはいきたい。中絶も厭わないわ」
↓
「昇進の話もあるし、妻も妊娠しちゃったし、それを理由にパリ行きやめようかな。そしたら普通にはハッピーだし。そうだ全部妻のせいにしてこのままステイしよう」
という感じで物語は進んでいくのだがこの種のドラマの類に違わず物語は幸福ではない結末を迎える。
視聴後、この夫婦の問題についてしばらく考えた。
彼らの問題を解決する「企画」はどんなものだろうか。
家族でパリにいって生活を変えつつもダンナは昇進もしてやりがいを感じて、なおかつ妻は出産もして、なのにのんびり感があり、ダイナミックで穏やかな生活してるという未来も構築可能なはずだ。
現実にはそういう人たちがたくさんいる。
でも、それじゃあ映画にならないので物語は悲劇をもって大団円となるわけだがどうにもそこに違和感が若干ある。
ようはトライ&エラーが自由な環境さえあればこの家族は仕事のエントラップメントを脳外に放り出して、パリでもどこでも環境を変えてトライできるわけだが(特にダンナ)ある要因のせいでそこに踏み切れない。
その要因のひとつは「お金」である。
この夫婦のストレスの原因のおおもとは「お金」を得るために働いてるダンナに奥さんが「カッコよくない」と腹をたててしまっていることなんだが、かといってオプションとして閃いた「パリ」という回答には「リスク」がセットになってるし、必然性もない。(設定では妻が絶望しつつ過去の写真をパラパラめくっているとエッフェル塔の前で撮影されたダンナの写真をみつけて「これだ!」と閃く)
なのでダンナとしては
「うーんちょっと」
となってしまう。
たとえば、
1.いけるギリギリのリスク範囲の予算と期間を見積もってその期間でトライする
2.生活リスクをカバーできる資産 or ビジネスを確立し、でもってトライする
3.まずは最重要問題を再整理してから打開の戦略を立てる(まあこれがベストだな)
という感じで選択肢を整理していくと解法もみつかるかと。
もしも衣食住がフリーな世界が実現できたらみんなでワーっと走っちゃうのもありだと思うけれど残念ながら、実現にはもう少し時間がかかりそうである。なので残念ながらあと数十年は多少の「企画」は必要であろう。
でも、これでダンナ(ディカプリオ)が
「オレがやりたいのはメイド喫茶とマンガだ。日本でマンガとメイド喫茶をやる」
といったら、この奥さん
「あなたには無限の可能性があるわ」
となるんだろうか。
といろいろ考えるわけだが僕個人はこの世界の絶対の戦略は「生き残ること」だと思っている。(恩師の遺言でもある)それを考えると最大のリスクは「死ぬこと」であって、このリスクを回避できる限り、脳をドライブさせる選択こそがあらゆるリスクにまさる戦略だと考えている。
だいぶ自分の妄想に偏ってしまったので話を映画に戻すとケイト・ウィンスレットの顔がタイタニックの頃に比べると相当に迫力があってコワくてよい。
映画「リトル・チルドレン」もそうだったがケイト・ウィンスレットはこうした冴えない主婦の役が非常によい。なにせ迫力が違う。あんなに迫力があるのに冴えない主婦(昔冴えてた感じがやさぐれ感をだしててよいのだ)なんていない。
以上、雑感でした。
※「エターナル・サンシャイン」では素敵でかわいい女性を演じてて好きですが。