「Steins;Gate/シュタインズ・ゲート」 画面での読書がつくりだす物語以上の物語体験
※先ほどようやく「Steins;Gate/シュタインズ・ゲート」を終えた。そのままにするには惜しかったのでメモとして書き始めた。
東大のGDC報告会で昨年のベストゲームタイトル「アンチャーテッド2」のデモ映像を探していると4Gamersで読者投票1位になっていた見知らぬタイトルのゲームが目にとまった。
それが「Steins;Gate/シュタインズ・ゲート」である。
解説を読み進めていくとどうやらサウンドノベルらしい。
XBOX360の読者投票1位がサウンドノベルとは意外な気がした。
普通ならスルーしてしまうのだが何かがひっかかった。
その足で「Steins;Gate/シュタインズ・ゲート」を探しにいったのだがなかなか見つからず、二件目でようやく見つけることができた。
初めてみるとXBOX360にしては地味な印象である。
こんなゲームが読者投票1位なのか?
そう思いながらも2時間ほど進めていく(といってもサウンドノベルなので読み進めるといった方が正確だろう)と意外にもハードなSFの世界が展開され、いつのまにか引き込まれていった。
気づけば目が痛くなるまで画面を読み進めていた。
これはゲーム体験と呼ぶべきなのか?
それとも読書体験と呼ぶべきなのか?
不思議な感覚であった。
古くは弟切草などサウンドノベルには幾つかの代表的なタイトルがある。
そのどれとも似ているようでノリが違う。
「428」などに比べると操作の複雑性は要求されない。
かといって「ひぐらしのなくころに」のような完全な一方通行とも異なり、自然な操作の中に分岐がしこまれている。
そして、毎日、少しづつ読み進め、ようやく昨夜、トゥルーエンディングまで到達した。
印象的だったのは最終章を終えた場面だ。
なるほど。
こんな感じで終わりなのか。
思ったよりも緩いエンディングに肩すかしをくった気分であった。
ところが。。。
最後の最後。。。
不覚にも「やられ」てしまった。
ゲームの性質上詳しく記述することはできないのだが完全に気がゆるんでしまっていた。
そして、見事に「やられ」てしまった。
「バットマン・ダークナイト」の時と同じである。
油断があったとはいえ侮っていた。
「Steins;Gate/シュタインズ・ゲート」恐るべしである。
ゼルダをクリアしたら裏世界があった、のと似たような感覚がよみがえった。
情報のモードがある時点を境に映画的なもの「ここからはじまりここで終わる」ことがわかっているのにどうすることもできない、に変わる。
時間の儚さを引き延ばしながら凝縮しているような感覚。
良質の物語にはつきもののいつもの感覚。
こうした複数の感覚が時間軸をバイパスして同時に蘇り、読書や映画のようなシーケンシャルな体験とも異なる独自の体験をつくりだしていた。
時計をみれば時間は真夜中。
そのまま眠ることもできたのだが自分が感じた感覚を記録しておきたいという気持ちの方を優先して久しぶりにエントリーを書きいた。
同時に、こうして考察する時間の面白さを思い出した。
オンライン・オフラインを問わず電子書籍についての意見が日々かわされ「電子書籍とは?」が議論されているが「Steins;Gate/シュタインズ・ゲート」のような「読書体験」は電子書籍論からはすっぽり抜け落ちているように見える。(※これは何故か?という議論は別なエントリーで考察していきたい)
しかし「Steins;Gate/シュタインズ・ゲート」こそあろうべき「画面での文字体験」の一つの到達点だと自分は考える。
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クリア後の寂しさが…
…………っ
楽しめました
ゲームシステムとしては微妙
間違いなく面白いよ!!
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