2000年代のブログのタイトルと著者名への違和感とオンラインテキストメディアの変移

‎2000年代にブログが流行った。
その頃の著名ブログのタイトルやペンネームはいまみてみると照れくさくなるものが多い。本でいえば「カバーつけますか」「はい」という感じである。
これは何なのだろう、とあらためて考えてみた。

ようは実名ではないのである。

これはこれで一時代をつくった、とも言える。
実に面白いブログもあった。

では、いまそうしたブログをみるのかといえばまったくみない。

ブログというものをほんとど読まなくなって久しい。
これはどういうことなのだろうか。

これはゲームがパッケージ型からリアルタイム&ライト型にかわってきたのと似てるように感じられる。投下できる時間資本が同じであれば単位時間あたりのパフォーマンスがよい情報へと消費傾向は変わっていく。

Twitterやfacebookにおけるタイムラインというあたらしいテキストメディアができてからブログとの接触時間は圧倒的に減ったように思う。

この傾向は個人のプロモーション、メディアの問題ではなく広く情報を伝えるということにおいての大きな変化の入り口なのだろうか。

ブログで切り開かれたプロ・アマのフラット化はあらゆる人を巻き込んでアーキテクチャと価値を変えつつある。1万字の良質なコンテンツと140文字のインパクトを同列に扱うことはもはや不可能である。

それらは同じ文字だが質と価値基盤がまったく異なる。