「血と暴力の国(No Country for old men)/コーマック・マッカーシー」 超えられない言語の壁を感じた一作であった
この作品、いくつかのブログで話題になっていたので読みたかったのだが有楽町の三省堂では発見できず、豊洲の紀伊国屋でようやく見つけた。
昨日から読み始め先ほど読了した。
本作はコーエン兄弟(ミラーズ・クロッシングの監督)によって映画化されることが決まっている。主演はトミー・リー・ジョーンズとのことだ。(映画の邦題は「ノーカントリー」)
帯には
「ピューリッツァー賞作家の鮮烈な犯罪ドラマ コーエン兄弟映画化!危険な金が殺人者を呼び荒野を血に染めていく…」
とある。出版物の宣伝で「ピューリッツァー賞」という言葉をよく耳にする。
おぼろげにジャーナリズム関連の権威ある賞という認識をしていたのだが、小説が何故ピューリッツァー賞と関連しているのか知りたくて調べてみた。
「ピューリッツァー賞(ピューリッツァーしょう、Pulitzer Prize)は、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威ある賞で、コロンビア大学ジャーナリズム大学院が同賞の運営を行っている。 賞は、毎年、21の分野を対象とし、うち20の分野の受賞者にUS$10,000の賞金と賞状が授与される。社会貢献(Public Service)分野の新聞報道に対してのみ金メダルが与えられる。この分野は必ず新聞社に対して与えられるが、個人名も併せて挙げられる。
同賞は、ハンガリー系アメリカ人ジャーナリストおよび新聞経営者ジョセフ・ピュリッツァー(Joseph Pulitzer、1847年-1911年)の遺志に基づき1917年に創設された。」(ウィキペディア)
なるほど21の分野が存在し、それぞれに賞が授与されるのである。アリス・ウォカーの「カラー・パープル」もピューリッツァー賞を受賞している。
マッカーシーの作品を読むのは初めてであった。
調べてみるとマッカーシーは高名な米国の純文学の作家である。
村上春樹も愛読しているとのことだ。
読み始めてすぐに文体の奇妙さに気づいた。
ハードボイルド、あるいはエンターテイメントな小説の文体とは異なる。
描写に余計な部分がない。
登場人物の内面を描くテキストはそぎ落とされており、作品を構成するのは状況の描写と対話、そして、モノローグのみである。
対話に関してはカギ括弧が存在しない。
全て地の文と同化している。
僕が読んだのは扶桑社からでている翻訳であったため原文でどのような表記がなされているのかは定かでないが読書体験として異様であった。エンターテイメント小説と思って読み始めたがすぐに印象が変わった。これってもしかして文学小説なのではないか。
内容は血みどろもいいところである。
最初から最後までハードな描写が続く。
そして保安官のモノローグ。
映画もこのように進むのであろうか。
興味深い。
この作品の翻訳はものすごく困難を極めたのではなかろうか。
日本語になってしまうと半ば暗号のような文体であるがそれでもテキストの向こうにある蠢きが伝わってくる。
この蠢きにこそ本質がある。
僕はそう思った。
日本語としては読みやすい翻訳ではないが翻訳によるモード情報の伝達としては限界点まで来ているのであろう。
だからこそテキストの後ろに存在する情報の「蠢き」が伝わってきたのだ。
久しぶりに英語で読めないことをこの上なく悔しく思った。
ジョイスの小説もそうだが文体が作品の本質となっているタイプの作品の場合、翻訳によって原語が表現しているモードのおぼろげな全体像は伝わるが全てが伝わるわけではない。残念ながら言語にはいまだに壁があり、その壁は現行の言語システムの中でつくられた作品においては超えることが不可能な壁なのではないかと僕は考える。
こちらは僕が動画で解説したエントリー。
http://www.kagaya.com/?p=2052
下記、参考資料としてYoutubeにアップされている映画版のトレイラーと原作のリンクをのせておく。
“No Country for Old Men” (Cormac McCarthy)
この投稿へのコメント