「イノセント・ボイス 12歳の戦場」 隔世の感があるけれどこれはつい最近の話である

テアトル銀座に「グレート・ビギン」をみにいった時、予告編を目にした。

観たいなと思っていたのだが時間がとれなかった。

昨夜、ようやく観に行くことができた。



イノセントボイス

映画的な完成度やストーリーがどうだったというような感想はない。

暗さとか悲惨さとかそういう感想もない。

僕が思ったのはただひとつ

「何故?」

である。

鑑賞中も様々な何故が交錯していた。

主人公の家族は政府軍とゲリラが敵対する中間地帯にある街でくらしている。(しかし、
ノーマンズランドではなく日夜戦闘が繰り返される)

政府軍は男の子が12歳になると連行する。

子供達は訓練され軍服を着せられ少年兵として前線に立つ。

何故、子供を戦場に?

何故、彼らはこの街を出ないのか?

そもそも、何故、二つの勢力は対立しているのか?

何故、内戦なのか?

何故、市街地それも非戦闘員が暮らす街を戦場とするのか?

架空の世界の出来事ではない。

10年前まで続いていた内戦の話である。

対して、昨日の日本のマーケットではライブドア株が寄りつくかどうかという騒ぎ。

ギャップに頭がおかしくなりそうになる。

そして、山ほどの何故が交錯する。

「何故」でぐらぐらしながら帰ってきたせいか夕飯の買い物をしようとしてもなかなか意思決定ができなかった。

夜中にコンビニにいった。

Newsweek日本版のトップはライブドアについての記事であった。

堀江氏についてもライブドアについても、日本のメディアと扱いが違う。

記事は勧善懲悪な感情的視点ではないし、善悪というとらえ方でもない。

フラットな見方だと思った。

夕方、宮島さんから電話があった。

今回の問題の本質について話をしようよ、という誘いであった。

何人かの人からメディアの論調のおかしさについてのコメントを聞いた。

僕はTVも新聞もあまり見ないがそれでも論調が「白黒」という分け方をしているのでそのモードは伝わってくる。

どこもかしこも記号化と単純化である。

意味や価値の判断が薄れ、インパクトと印象がとってかわる。

午前4時11分。

街は静かだ。

昼間は空中でもつれていた複数の線がいまは地面で眠っているようだ。

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