「よみがえる昭和初期の日本」 あまりにも強烈な映像体験
日曜の午後、偶然、「強烈な映像体験・後編」を観た。
昨年、前編を観ていたのだがその時はああこういう牧歌的な時代もあったのだな、程度の印象だった。
後編は全くの別物だった。
米軍の軍事機密としてカラー映像で撮影された戦時中の映像はあまりにもインパクトが大きかった。昨日みた「シリアナ」
がオモチャのように思えた。それほどまでに強烈であった。
「ああ戦時中の映像ね、みたことあるよ」
といわれる方も多いかと思うがモノクロとカラーの映像では情報の質・量が別物であった。(早々に戦闘機にカラー撮影機を装備し、
トリガーオンと同時に撮影するシステムを実装していた米軍のプラグマティズムのすさまじさも驚愕だが)
未視聴の人はいますぐにこの映像をみるべきだと思った。
言葉がない。
解釈して意味づけしてそれをどう思ったかをいうことはできよう。
しかしそれは違うように思った。
靖国がどうのこうのとか戦争責任云々とか、この映像をみていたら全部茶番だ、という気がした。
ああした議論のほとんどは既得権益な空気を感じてしまう。
これを観てから議論をしたらいいと思う。
先日観たシリアナの中で興味深いセリフがあった。
「自由主義は失敗した」
というセリフだ。他のなんとか主義もだいたい失敗しているわけで、AはダメだからBがいいという議論がなりたつわけではない。
おそらく主義云々でどちらがベターかみたいな議論はポイントがずれている。
それらの議論のもっと手前のメタなものがあり、そこが手つかずで残っている、という印象をうける。
主義とか思想などとは異なるレイヤーにあるメタなもの。さっきみた映像とは直接は関係ないが書いていたら、それを思った。
繰り返しになるがこの映像は早急に目にすべきである。演出がはいっているとはいえ見た人と見ていない人の視点には大きな差が生じる。
しったかぶりをして、したり顔で語る人の言葉は響かない。それらはほとんどが照れ隠しに過ぎない。
業界に通じたような顔をしたところで本人の底の浅さは隠せない。意外にも人は人の本性を隠すことができない。
と、書いたところで茂木先生のブログが更新されているのをティッカーが知らせてきた。
読むと俄が実体化したような人である角川春樹の句会の模様が書かれていた。その後半、
小布施の暗闇と、土のぜいたくに酔った。
市村さんの語る、生活者が豊かに暮らすことが
すなわち訪問者にとっても福音になるという
ヴィジョンは、全面的に支持したい。
という箇所があった。メモしておきたいと思ったのでメモしておく。
この投稿へのコメント