ICCでやまけんのシンポジウムとムニロ

昨夜、やまけんと電話で話をした。

「明日、ICCでシンポジウムのパネラーやるんだよ」

と言われていた。

ICCに展示されている徳井さんの作品をみておきたかったのでいこうと思っていたのだが起きてからしばらくDVRの録画などをみていたらすっかり忘れていた。

ICCのページをみたら会場の映像の配信がはじまっていた。

ヤヴァイ、すっかり忘れていた。

急いで支度をして出発。

30分後、初台、到着。

初台といえばオペラシティの地下にあるパン屋は外せない。

ICCにいくときはたいていここの「明太フランス」を食べてからいく。

パネルディスカッションとかシンポジウムとか講演はみている側はおなかがすくのだ。

相変わらずおいしい。

最近では多くのパン屋で売っているが、ここのパン屋の明太フランスが一番おいしいと思う。

ICCにつくと徳井さんの作品が入り口に展示してあった。

詳細は書けないが非常にインスパイヤされた。

明確な目的を持ってメディアアート作品をみてまわるとかなりヒントになる。

アートを楽しむという視点でいくときとは自分のモードが全然違う。

この変化をフィルタみたいに状況に応じてパッパと変更することができたら人生は「素晴らしく面白い」の連続になる。

あらゆる場面にヒントが眠っている。

答えと問い。

見つけるのが難しいのはどちらであろう。

六甲占術では問いを考えだすことが一番重要だ、といっていたが。

++++++

会場につくとこれまでのICCのパネルディスカッションのスタイルではなくAホールの中央に円形の舞台が設置され、パネラー4人が向かい合って座し、その周囲を聴衆が囲むという形態の会場が設営されていた。このスタイルは珍しい。

実はやまけん以外の二人のゲスト(ゼビウスの遠藤さんと森さん)の話を聴くのはこれがはじめてではない。

遠藤さんは某政党の会議で、森さんは某イベントでそれぞれプレゼンを聴いたことがあった。

レポートはインプレスWatchやMYCOMの人が書いてくれると思うが僕も僕なりにまとめておこう。

遠藤さん、森さん、やまけん、ともに問題として強調していたのは「マネジメント・プロデュースの不在」という問題であった。

スターとなりうるクリエイター(ゲーム、アニメ、農業)がいてもその人が成功するかどうかはマネジメントにかかってくる。

作品や商品が世に出て人の目にふれたり、手に届くようになるためには事業としての最低限ひつようなインフラというか手続きみたいなものがある。ここをうまくくみ上げないと作品がいくらよくできていても事業としては成立せず、人知れず世から消えていってしまうことが多い。

自分で自分のマネジメントができれば問題ないがそれができるひとは少ない。

人は基本的に自分をマネジメントすることが得意ではないように僕は思う。

他人のことはよく観察できても自分を観察するのは難しい。

思考や行動にも姿見の鏡のような道具があればいいのだが。

分野が異なる3人の話で何故か「マネジメントの不在」という言葉が共通していたのが印象的だった。

人はそれぞれその人がやるとベストに価値提供できるような場所がある、と僕は思っていたし、書籍やら人の意見ではそういうものがあって、それが見つかっていないだけだ、と書いてあったりする。しかし、そんな場所はない、というのが僕の意見だ。

その人がベストの価値を提供できる場所・環境がどこかに転がっているわけではなく、それらは個別に構築する必要があり、つくることは可能なのだがほとんどの人はその方法がわからない、という言い方の方がしっくりくる。

やっぱり、その人なりにつくるしかないと思う。結果が似るだけであってプロセスの中ではそれぞれがユニークな存在として進行しているように見える。

時々、ふと思うのだが電車の乗り降りですれ違うこの無数の人々の誰にだって、その人の意識が集中し、映画の主人公がエイヤっと閉じていた心を開くみたいな大きな意思決定があると思う。現象として世界に与える影響は個々人で雲泥の差があるけれど、個人が感じている魂の重さみたいなものは案外差がないんじゃないだろうか。

そういう気持ちが結晶化する瞬間みたいなものを集めていったらどうなるんだろうな、と思いながら電車を乗り降りしたりしていると、あらゆる瞬間にそういう瞬間がキュービタルに存在しているのに、それらを感じられないですれ違っていくのは残念だな、と思う。

話がそれた。

マネジメントの話に戻ろう。

職業柄、暇さえあれば観察をしている。

「この店はここをこうすればこうなるのに」とか「この人はいまこうなっているけれどここをこうして、こうすればよりダイナミズムが生じて、わけがわからない展開するかもな」とかそんなことをシミュレートしている。僕はビジネスなアレンジやマネジメントよりも人のドライブ感とかダイナミズムのダイナミズムに興味がある。なのでこの分野のことはやっていても飽きない。足りないのはビジネスな知識と社会インフラの使い方についての知識と能力である。

ということはここが得意な人とチームを組めばいい。

こういうスキルとこういう場所とこういう人とこういう流れがあるとこういうサイクルができるよな、みたいな構造をイメージし、組み上げて、まわしていく。言葉にするとシンプルだ。しかし、実際にやるのはけっこう難しい、と書きたいが、おそらく現実は思っているほど複雑ではない。

僕が関わるプロジェクトでもうまくいくケースの場合はわけがわからないうちにいろいろなことが連鎖していく。こういう連鎖の根源・発端にはダイナミズムがある、としか言えない。環境がロジックとは違う動きをみせるのだ。

また、こういうのを導きやすい体質の人が確かに存在する。

ところが、一生そういう体質でいられるのかというとそうでもない。

まれにコンスタントにダイナミズム(流れ)を引っ張れる人もいる。

そういう人たちをみていると流れを引っ張ってきているその間は脳が健康そうなのである。

といっても、ハイになっているのとも違う。

ストレートというか賢しくないモードな集中である。

善し悪しに関わらず、異様な集中は成果に影響してくる。

この種の集中をつくること、これをある程度までムラなくおこなえるように調整していくのがマネジメントだと僕は思っている。

シンポジウムの後、控え室でやまけん・ハナちゃんと遠藤さん、森さんとでしばし雑談をさせてもらった。遠藤さんや森さんとこんな感じで話しているとは今日のお昼には全然想像していなかった。こういう予想不可能性がダイナミズムの原点でこれが連鎖していくと、ネットとリアルな世界がシームレスになっていくようなリアルインターネット感覚がひらけてくる。(命名したのは清田クンである)

こうした感覚がどのレイヤーのどのクラスターでも頻発するようになる、というのが将来展望である。

なのでいまの世界でいう競争という感覚はあまり意味を持たなくなるんではないかと思っている。

全部が無限の場合、競争というよりもより納得感とかシンパシーみたいなものに価値がシフトしていくんじゃないだろうか。

シンポジウムの第二部にも出ようと思っていたのだが「ムニロに行くんだけどどう?」と誘われ、久しぶりにやまけん&ハナちゃんと笹塚のムニロにいった。

シェフが変わり、前よりもだいぶ優しい味になっている。

飲食店もシェフを雇い、メニューを調整し、常にかわっていく。

時間や場所も組み込んだ巨視的視点でみると基本的に

「仕事は最も効果的かつ効率的に行われる場所でなされる」

のだ。この力が底に流れていて物事や情報は常にそこに向かう性質がある。ここに抗えば(自覚がなくても)四散し、向かえば結実する。ただし、時間が絡んでくるので現行の価値、価値観とのズレがあり、これに意思決定が影響される。常に自分を心理歴史学(アシモフのファウンデーションシリーズに出てくるセル・ハリダンのアレである)なGPSで「観る」ことができたら面白い。

いろんな情報機器、情報インフラ、情報関連ソフト、ネット、ケータイなど人やこの世界に関する情報な基盤の進化をがーっとGoogleアースみたいに歴史も交えて巨視的にひきでみていくとすべては「オプティマイズ」に向かっているように見える、と石井先生がいっていた。

「幼年期の終わり」の終盤で描かれているオメガポイントなビジョンとは違う形でオプティマイズは顕在化すると思っていて、そのベースにはずっとから書いてる「賢しくない異様な集中(無自覚な場合が多い)」がある、というのが僕の考えである。人と人がリンクするときの根本にあるのは賢しさではない。キュービタルに存在しつつも、バチっとタイミングがあわないと顕在化しないが誰もが持っていて共感可能なモードなのである。

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